理解されない事と、心から理解してもらえる事。
私は、それを極端にどちらも体験したかったのだと思う。

2人姉妹の私。
子どもの頃、母に「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」と言われて、その通り言うことを聞いていた私。
姉妹で妹が優先されて、私の気持ちが母に理解してもらえなくても、姉に生まれた私だから、姉は我慢が当たり前だと、母の言葉からそう思って育った。
(逆もあると思います。姉妹の妹の方が我慢しているおウチも)

妹はいつも怒っているように見えて、母は妹にすごく気を遣っていた。
けれども妹目線で見れば、妹だって自分の気持ちを母に理解してもらえないもどかしさもあり、怒っていたのだと今では思う。

私は親の言う事を聞く良い子でなければならない、そうしないと生きて行けないと思い込んでいたから、妹の事を全く理解出来ていなかった。

私が我慢して妹に譲ったり、自分の意見を言わない事で、家族が丸くおさまるのなら、それが幸せだと思っていた。

でも、もう過去の事は全て浄化して、なんのわだかまりもなくなっていたと思い、最近は辛い思いもなく普通に過ごしていた。

しかし、昨日母と電話で話した事を、とある事が理由で中高時代の友人にラインで話した。
そうしたら、彼女が丁寧な返信をくれたのだ。

「お母さんの気持ちも少しわかるのだけれど、妹さんの気持ちをいつも優先にしているように思えるわ。長い歴史の中でそういう経緯があるのかもしれないけれど、あなたは少し寂しい思いをしているのではないかしら。
上の子はいつもそうね。そういう役回りなのかな。」

「寂しい思いをしているのではないかしら?」という言葉が心に響いて涙が溢れて止まらなくなった(涙)

そうか、私は子どもの頃ずっと寂しかったんだ。
人生我慢が当たり前になっていて、親から理解されないのも当たり前になっていた。
「理解されるよりも、親の事を理解しよう」と勝手に思い込んでいたのだ。


だけれども、本当は子どもの頃、心に寄り添ってもらえたらどんなにいいだろうと思っていたのだ。
寂しいと思っていた事さえもう忘れていた。

というよりも、寂しさよりも辛い事が多かったから、寂しさにあまりフォーカスしていなかった、あるいは封印しすぎていたのだ。

友人は続けて
「今まで良く頑張って来たね。
我慢するのは当然ではないよね。
優先されて来なかったのは理由があったとしても、やはりあなたの気持ちも同じように大事にして欲しいよね。
母娘は難しいね。」

彼女自身妹がいるし、お子さん達を育てた経験から、姉目線でも母目線でも、話してくれて、救われた。
特にお子さん達との関わりで大きな学びをされていて、母目線で包んでくれた事が大きかったハートのバルーン

話しが少し変わるが、
夫から「俺の気持ちを理解してくれ」と時々すごく怒られて、理解しようと努力してもこれ以上どうしろと言うのかと困り果てていた時もあった。
多分親に理解された事がなく、我慢して育った私は家族の心を理解する事がわからなかったのだと思う。
私の愛情が足りないのかと思い、さらに我慢して理解しよう理解しようとしたけれども、夫には通じない。

怒る事は良くないと思い、喜怒哀楽の「怒」を出さないように生きてきた私。
「怒り」が欠けている自分に気付いたら、夫が怒らなくなったという経験を最近したのだが、もう一つ経験したい事があったのだ。

人がお互いを完全に理解し合う事は、今の地球では難しいが、理解してもらえたかも!という経験を私はしたかったのだ。

私は今日、友人から、私の子どもの頃からの寂しさを理解してもらえた事が、本当に嬉しかったおねがい
涙がずっと止まらなかったが、今、ブログを書いていたらやっと止まった。

この感動を、心境を、このブログに上手く書けないのがもどかしいのだけど、私の備忘録として、ここに残したい。


神様、見えない存在達、そして、全ての関わって下さった方々に、感謝キラキラ

友達って、本当に有難い存在乙女のトキメキ

今日は、母の日ラブラブ
友達がまるでお母さんのように感じたの。
私が欲しかった母の愛って、こんな感じなのかな、って。

心が暖まりましたラブ

全てに、皆んなに、感謝ですスター