続きです
生まれた時に住んでいた家を後にして、道に出ると、横に登り坂が見えた。
何故か急にその坂を登りたくなった私。
いやいや私、駅に戻るのではなかったかしら
でもどうしてもその坂に、引きつけられるので、そのまま登り始めた。
ある程度登ると、T字路になっている所があり、そこで一息ついて、右向こう側を見ると、うっすらと海が見えた。
ほんの少ししか見えないが、住宅の間から見える海は、私には、なんだか輝いて見えた
「わあ、家のこんな近くに海が見える所があったんだ!素敵
」
(腰の痛みも吹き飛ぶほど、海に釘付けになった)
海が見られて嬉しい気分で、ふと左側の小道を覗くと、向こうに、桜が見えた
「まあなんて、大きくて素敵な桜なの〜2月末なのに満開だわ
」
桜に惹きつけられて、この道に入り込んでいく。
あれ?もしかして、ここは、幼い頃遊んだお寺があるかも
あ、やっぱりお寺。たぶんこのお寺よね?
ドキドキしながら、階段を登る。
あった、ブランコが
そうよ、このお寺よ
美しい桜の横に、まだブランコが残ってた。
ここよ、このブランコに乗って遊んだのよ
そう、17年前にも、このお寺に来た。
その時、このブランコを見て泣いたっけ。
懐かしくて泣いたというよりも、悲しみが甦ってきて辛くて泣いたんだったわ。
幼い頃の思い出は、いつも孤独な寂しさが漂う。
不安で、心配で、怖くて、寂しくて。
今思えばそれは、その頃の母の心境だったのかもしれない。
知らない土地で、子育てして。私が2歳8ヶ月の時には妹も生まれて、精神的にいっぱいいっぱいで、子供の心に寄り添う余裕もなくて…
(父は企業戦士で、会社づけで、家の事と子育ては、母に任せっぱなしで。さらに仕事のストレスも抱えて)
17年前と違うのは、私の気持ち。
ブランコを見ても、もう悲しみの涙は出なかった。
大風にそよぐ桜の美しさに癒されたのだろうか。
それとも年月だろうか
「私、49年前にこちらに住んでいた者です。お地蔵さま、この土地をお守り下さりありがとうございます。そして幼い頃の私も家族もお守り下さりありがとうございました」
名前は、旧姓でも名乗ってみた
(お地蔵さまの右側、桜の向こうに海が見える)
私は、ここに桜があった事を知らなかった。
という事は、幼い頃、桜の季節には来た事がなかったのかもしれない。
それからブランコの前に来て、鉄の柱に、手を置いてみた。
(ブランコの板はもうなくなっているし、緑の網が張られているので、ブランコに乗ることは出来ない)
風そよぐ桜の下で、ブランコを通して、過去の私にまた呼びかけてみた。
(物には記憶があると思うから、きっと幼い頃の私を、ブランコは知っていると思ったから…)
「怖くないよ。大丈夫よ。心配しないで、大丈夫だから。あなたは、49年後も生きてる。心配で心が折れそうになったとしても、大丈夫。前を向いてね。ちゃんと生き伸びてるからね」
物語や映画の世界ではないけれど、過去へとつながる川をイメージして、そこへ意識を流してみた。
そうしたら、イメージの中で、3歳くらいの私が思い浮かんだので、その子をぎゅっと抱きしめた。
よしよし、と頭も撫でた。すると幼い私が安心したように思えた
全ては、お寺の境内での出来事。
美しい桜の下、柔らかな日差しの中、私の過去が癒されていくのを感じた。
お地蔵さまも、助けて下さったのかもしれない。
そして、さらに階段を登り、お寺の仏さまにもお参りさせて頂いた。
お寺の鐘の向こうの道に行ってみると、また海が見えた。
こちらの方が、海が広く見渡せる
お寺に来られてお参り出来て良かった
この後、12:21発の電車に乗りたかったので、駅に向かった。15分で駅に着いた。
家とお寺は、2〜3分の距離だったので、
家から駅までは、大人の足では、恐らく12分くらいの距離。
駅までも歩いていける近さで、山もあり、海も見える、なんて良い所なんだろう
今回、この町を訪れた事で、私は自分の過去に対する見方が変わった。
悲しくなるから思い出したくない過去ではなく、暖かい日差しに包まれる過去に変わったのだ。
駅まで戻る間、何故か亡くなった父が近くにいるように感じた。
「お父さん、ここにいた頃は、ホント仕事大変だったみたいね。そして私達が生まれて、てんやわんやだったのでしょうね。でも、私、生まれてすぐにこの町で過ごせて良かったと、今では思う。本当に良い所だものだから、ありがとう、お父さん
」
それを聞いて、父が喜んでいるように感じた
今回、来られて本当に良かった
神様、仏様、守護霊様、ご先祖様、そして私を守って下さる全ての存在に、感謝します
皆さま、良い日々を