苦を与え、喜を築かせる、神の導き。 | みらくる☆彡

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ただ ただ 、

染み入りました。



たかのはの おのほの やそちねの

よよの たのちの ちとす

よのたの おのほの このちの ちとす

 

「鷹(たか)の羽(は)の

 高(たか)の葉(は)の

 尾(お)の穂(ほ)の 八十千根(やそちね)の

 畬々(よよ)の 鼉(た)の地(ち)の 地(ち)とす

 藇(よ)の鱓(た)の 己(お)の穂(ほ)の 

 其(こ)の地(ち)の 地(ち)とす」

 

 

 地に育つ葉の根も 空舞う鳥の尾の穂も

八十千もの根に広がり わかれている

幾万年もの歳月の中で 築きあげられたこの地球は ナラヤナ大神を始め それ創造にたづさえた 主の地である

 美しき心の神の 己の身体自らがこの地であることと説かん

 

 高の葉は ナラヤナ大神の頭 天 宇宙を示すもの 尾の穂とは ナラヤナ大神の尾のうろこ 地の層を示すもの 鷹の羽は 光を放つ源を示し その尾の穂は まがりなくまっすぐな導きを示す

 

 この法経の意味を よく心にとめておろうと思う

 この地 地球は 我が身である すべて人間の目に映るは我 神の姿であるにそれに気づくものは 誰もおらぬのか・・・

 

たかのはの おのほの やそちねの

よよの たのちの ちとす

よのたの おのほの このちの ちとす

 

 というこの法経も 南無妙法蓮華経という大乗の経も そなたの送る法の心のまんじも 心なしではなにもならぬ

 

たかのはの おのほの やそちねの

よよの たのちの ちとす

よのたの おのほの このちの ちとす

 というこの法経が 神の存在を示し 南無妙法蓮華経が 人の存在を示すならば まんじとはそれ二つを結ぶ 心であることを 忘れるでないぞ

 まんじとは 心であり 二つを結ぶ光の糸であるぞ その光の糸は たとえ手で円を描いても美しく 疑いない心 純真な心でなくば 描くことのできないものである

 

 光の糸へ近づきつつあると 己を尊ぶでないぞ 先はまだこれからなのである 

 

いっこうのゆうよも許されぬ

を次の世へと導いてゆかねばならぬのである

 

導きとは たてるとか めがけるのではない

やさしさとは かばいたてるものではない

 時として 苦難へと放りだすこともやさしさであり 思いやりであり 大きな悟しである

 

 人とは 仲間意識で角が立ち 味方につけて鼻が高こうなるものである

 そなたも人である このような心にとまどわされるのも無理はあるまいが ここまで神の信ずいにつかえてきたお前なら この神の意をわかってくれるな・・・

 

慈悲とは導きではない その者に苦を除き 喜を与えるのは 導きではなく恵みである 苦を与え 喜を築かせること これが神の導きである

 

 今お前にかかっている こうしている間にも 破滅は近づきを忘れない

 しっかりと頼んだぞ

大日如来大神

 

以上が「たかのは」の全文です。

 

もうお分かりだと思いますが、この題名にも文章の中にも何度となく出て来る「た」「か」の文字。

 

これはまさしく「をして」の「た」「か」であり、解釈は『ほつまつたゑ』の通りです。

新型ウィルス蔓延・・・縦と横の分割【2】

で示した図と同じことを意味しています。

 

 

そして

 

(まるほう)

 

という表記

 

これはまさに「あめなるみち」を示しているのです。

 

「あめなるみち」とは天地の法です。

 

自然界と同じ循環をしなくては人は滅びるという意味にもなります。