やはり、時は満ちた
ようですね。
和加須世理比売命と呼ばれてきた
存在の波動を観ておりましたところから
昨日発信いたしました
出雲の、三種の神器の光還り。
立春のイベントから再び
実は私は1月28日の夜に自宅を出発し、そのまま出雲へ車を走らせました。
大寒波もこの夜と次の日の夕方まで和らいでくれ、途中チェーン規制も前面解除されていました。
(ラッキー)
出発したきっかけは、その数日前に朝起き掛けにはっきりと聞こえた命令からでした。
「かもすに来い。」
かもすとは神魂(かもす)神社のことらしいですが、調べてみれば新しい神社。
どうもその裏には何かの仕掛けがあると感じました。
この勘は今までに感じたことのない程、強いものでした。
(もしかしたら神魂神社が元出雲大社としたいものの仕業なのかもしれない。「かもすに来い。」というのは、その仕掛けを暴いて、本当の出雲の祓を行っている跡地を探すことかもしれない。いよいよ出雲の謎を暴く時が来たのかもしれない。)
と思ったのです。
さらになぜ急に9時間弱もかかる出雲まで寝ずに行かなくてはならないのか・・・来月でもいいのに・・・日帰りで行くなんて~(´;ω;`)
その理由として挙げるとしたら
白根山の突然の噴火が三千年後の今起きたこと。
今までの予知ではない噴火の仕組みだったこと。
飛騨の歴史、「アメノホヒ」の生涯の本を読んでいて、この本に関わることなのかと天に聞いた直後、私の住んでいるすぐ真下で震度2の地震。震源地が自宅の近くだったこと。
更に、東北にいらっしゃる方がこの出雲の旅の祈念をしてくださった直後、またまたそのすぐ付近で震度4の地震が起きたから。
これは何かに呼ばれている。その秘密をあばいて欲しい、それを知って欲しい者たちがいることを強く感じました。
出雲の古代史の謎は色々な方が論じていらっしゃいます。
しかしどれも私の心には響きませんでした。
『記紀』、『宮下文書』、蘇我の入鹿を崇拝している本、飛騨の歴史を書いている「アメノホヒ」が殺されている話、神魂神社の神事についてなど、どれも調べてみましたが、どれも縄文時代まで辿れる証拠がありませんでした。
そしてこれらの本には多くの矛盾点がありました。
残されている証拠と挙げているものと時代が合わないのです。
まず平安時代に書かれた延喜式内社にも名前が載っていない神社は怪しいです。
風土記にもない、そして建物自体が新しい。神事の起源も新しい。
また出雲大社に関しては、「ソサノオ」の封印、「大国主命」の封印などと書かれているものもありますが、それらの謎も「をして」の文献を見ればすべての謎が解けてしまいました。あくまでも私の謎解きですけど。
しかし今回見つけた「出雲大社」に相当する重要な祓いシステムの場所でこれまで起きたことのない出来事が起きました。
『十種なる振る祝詞』の正式な音で奏上した直後、雪が3分くらい降り出し、その後、伊弉冉さんの祀られているお社にお礼に行こうと歩いていた途中、もうすぐ社だという時です。
カラスが一羽降りて来て、目の前でこちらを正面に向いてお腹を出し、両羽を広げて「パタパタパタ」と何回も何回も動かしたのです。
そして羽毛をたくさん落としていきました。
まるで祓い祝詞を知りにセミナーに来られる方に配りなさいと言わんばかりの行動でした。
ちなみにカラスは伊弉冉の象徴です。
二回目も難しい内容かもしれませんが、ここを乗り越えなければ日本の歴史の真相は暴けません。
どうか諦めないで何回も読んで見てくださいね。
私も出雲のハタレ決起の元の話は何回も何回も挑戦してようやく書けるようになったばかりです。
それでは!
2月3日から始まりますよ~!!
祓ゑシステム発動!!