地球体感が
かなり強かった今日、
福の岡のご縁繋がりの
ふたつのアイテムに癒されていました。
はまゆふさんに教えていただきながら
生み出したMPソープと
いただくタイミングを
逃していたハーブティーの
お色がなんとなく、
優しく調和していたのです。



1 初めに、神が天と地を創造した。
2 地は形がなく、何もなかった。
やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。
3 そのとき、神が「光よ。あれ。」と仰せられた。
すると光ができた。
4 神はその光をよしと見られた。
そして神はこの光とやみとを区別された。
5 神は、この光を昼と名づけ、このやみを夜と名づけられた。
こうして夕があり、朝があった。
第一日。
いただきたかったわたしでした。
見たことないなぁ。(笑)
JNNプロジェクト「災害列島日本」です。京都の夏の風物詩、祇園祭。今年も大勢の観光客が訪れています。この祇園祭、これまでは疫病を治めるために始まったとされてきましたが、この通説を覆す事実が浮かび上がってきました。
歴史書などによると、祇園祭は平安時代の貞観11年=西暦869年、京の都で流行した疫病の穢れを払ったのが始まりといわれています。
ところが、歴史学者の保立道久さんは別の説を説きます。
「(祇園祭が始まった年の)5月に“貞観地震”というマグニチュード9の東北の地震が起きている。地震の状況が(祭りの始まりに)どうしても関係してきているはず」(東京大学史料編纂所 保立道久 名誉教授)
保立さんは著書の中で「牛頭天王」と呼ばれる地震の神様を、八坂神社に移したことが祭りの始まりだと指摘します。
その「牛頭天王」は、姫路の市街地から4キロの所にある広峯神社から移されました。「牛頭天王」はインドの神の化身のひとつで、神仏習合でスサノオノミコトと同一視されるようになり、疫病や災害などの厄難を防ぐ神様として全国に広がりました。
「(Q.ここから八坂神社に牛頭天王は移ったのか?)京都で疫病や地震の災いが起きるかもしれないので、ここでお願いするよりも、京都の御所の近くの神社に持っていって、まつろうということになった」(広峯神社 曲渕克昌 権禰宜)
「日本三代実録」によると、祇園祭が始まる前の年に京都で群発地震が19回発生します。その3か月後には、姫路市を震源とするマグニチュード7クラスの「播磨地震」が、さらにその翌年には東日本大震災と同じ震源域でマグニチュード8クラスの巨大地震が起きています。
そして八坂神社が今一度、神社に残る歴史書を読み返してみたところ、解釈の違いがあることに気付いたといいます。
「“貞観11年天下大疫”、大厄といってもいいのかもしれません。私どもも、今まで疫病退散だけが祇園祭(=祇園御霊会)の目的だろうなと解釈だったが、どうもそうじゃないだろう。この厄という中には、疫病神がもたらす災い、天変地異、地震、津波、大雨、そういったものすべてが含まれている。それを鎮めるのがこの祇園祭、昔の祇園御霊会だったと解釈しています」(八坂神社 橋本正明 禰宜)
さらに保立さんは二つの神社がともに断層の近くに位置していることが、祇園祭と地震が関係していることを示していると考えています。
「京都が揺れるときは京都の東、山の麓が揺れるという感じ方は持っていた。ですから、自然にここに神様がいると感じることができた」(東京大学史料編纂所 保立道久 名誉教授)
1200年ぶりに東北沖で巨大地震が起きたことを考え合わせると、私たちは祭りの本来の意義をしっかりと見つめ直す時期にきているのかもしれません。(26日11:44)
歴史書などによると、祇園祭は平安時代の貞観11年=西暦869年、京の都で流行した疫病の穢れを払ったのが始まりといわれています。
ところが、歴史学者の保立道久さんは別の説を説きます。
「(祇園祭が始まった年の)5月に“貞観地震”というマグニチュード9の東北の地震が起きている。地震の状況が(祭りの始まりに)どうしても関係してきているはず」(東京大学史料編纂所 保立道久 名誉教授)
保立さんは著書の中で「牛頭天王」と呼ばれる地震の神様を、八坂神社に移したことが祭りの始まりだと指摘します。
その「牛頭天王」は、姫路の市街地から4キロの所にある広峯神社から移されました。「牛頭天王」はインドの神の化身のひとつで、神仏習合でスサノオノミコトと同一視されるようになり、疫病や災害などの厄難を防ぐ神様として全国に広がりました。
「(Q.ここから八坂神社に牛頭天王は移ったのか?)京都で疫病や地震の災いが起きるかもしれないので、ここでお願いするよりも、京都の御所の近くの神社に持っていって、まつろうということになった」(広峯神社 曲渕克昌 権禰宜)
「日本三代実録」によると、祇園祭が始まる前の年に京都で群発地震が19回発生します。その3か月後には、姫路市を震源とするマグニチュード7クラスの「播磨地震」が、さらにその翌年には東日本大震災と同じ震源域でマグニチュード8クラスの巨大地震が起きています。
そして八坂神社が今一度、神社に残る歴史書を読み返してみたところ、解釈の違いがあることに気付いたといいます。
「“貞観11年天下大疫”、大厄といってもいいのかもしれません。私どもも、今まで疫病退散だけが祇園祭(=祇園御霊会)の目的だろうなと解釈だったが、どうもそうじゃないだろう。この厄という中には、疫病神がもたらす災い、天変地異、地震、津波、大雨、そういったものすべてが含まれている。それを鎮めるのがこの祇園祭、昔の祇園御霊会だったと解釈しています」(八坂神社 橋本正明 禰宜)
さらに保立さんは二つの神社がともに断層の近くに位置していることが、祇園祭と地震が関係していることを示していると考えています。
「京都が揺れるときは京都の東、山の麓が揺れるという感じ方は持っていた。ですから、自然にここに神様がいると感じることができた」(東京大学史料編纂所 保立道久 名誉教授)
1200年ぶりに東北沖で巨大地震が起きたことを考え合わせると、私たちは祭りの本来の意義をしっかりと見つめ直す時期にきているのかもしれません。(26日11:44)
両脚、
滅茶苦茶痛かったんです。
震源地は奄美大島近海
(北緯26.9度、東経130.2度)
震源の深さは約10km、
地震の規模(マグニチュード)は5.6
鹿児島県 震度2
鹿児島県 震度2
鹿児島十島村悪石島*
瀬戸内町請島*
奄美市名瀬港町
奄美市笠利町里*
天城町平土野*
与論町茶花*
震源地は京都府南部
(北緯35.1度、東経135.7度)
震源の深さは約10km