今朝も引き続き、
3年前のわたしより。
魂の家族に再会し始めてからずっと、
わたし自身の魂の記憶から
実践してきているコト。
今現在、
「目を開けた状態」のまま
根源セラピーや根源セミナーで
レイキやシータやヒプノの施術を行うのも
霊止(人)として
日常生活を生きるため。

キリスト教系では、「イエスが絶対的な導師」というように、
インド系、キリスト教系では、「絶対的な導師の存在」があるのに対して、
薔薇十字系には導師が存在しないのだそうです。
薔薇十字系の修行では、
学徒の自我に基づく自由と自主性が何よりも重んじられます。
薔薇十字系の修行には、
権威的な指導者としての導師は存在せず、
友人としての立場から学徒に助言する師がいるだけです。
と訳者あとがきにあります。
シュタイナーの霊的な修練はこの「薔薇十字系」の修行法です。
薔薇十字系の修練の特徴
シュタイナーの薔薇十字系の修練の特徴として、
・日常生活が最良の霊的な訓練の場と見なされる
というものがあるようです。
要するに、
集団で修行場で修行するというようなものではなく、
「日常生活と共におこなう」ということで、
さらにいえば、薔薇十字系の修行では、
社会や家庭の中で通常の社会生活をきちんと営むことが何よりも最重視されるそうです。
これについては以下のようにシュタイナーは強く述べています。
「ひとつだけ、どうしても守っていただきたいことがあります。
すなわち私たちは、
いま自分が置かれている人生の立場と義務から判断して、
自由に使うことが許される以上の時間と力を訓練にあてるべきではありません。
神秘学の訓練の道をたどることによって、
私たちが一瞬でも、
ほんの少しでも、
日常生活の状況を変化させるようなことがあってはなりません。」
何よりも優先するべきは、
「私たちのいつも通りの日常」なのです。
そして、
・目覚めた自我意識と健全な判断が重視される
というものがあります。
よくオカルト的な構図にあるような「目を閉じてトランス状態になったような状態で霊と交流する」というようなものではないのです。
瞑想のように目を閉じもしません。
「目を開けた状態」でおこなうのです。
普通の目覚めた状態の中で霊的認識をおこなうというもののようです。
シュタイナーも本書の中で、
「目を開けていること」について強く書いています。
ここなどは、先日、
紫綬褒章を受章した漫画家のしりあがり寿さんの長編漫画『弥次喜多 in Deep』の中で、
古い地球が消滅した後に「新しい世界の天地創造」を始める弥次さん喜多さんが「目を開けた瞬間から新しい世界が始まる」場面を思い出します。
目を開けた弥次さんも喜多さんもすでにいわゆる物質ではなく、
霊的存在として江戸の町に再登場します。
そこにある世界は弥次さんと喜多さんが目を開けた時に生まれた「霊的な存在の江戸の町」であるといことになりそうです(もちろん、漫画にそんな説明があるわけではないです)。
話がそれました。
続けます。
薔薇十字系の修行でさらに大事なことは、
・論理的な思考の鍛錬を重視する
・個人の自由が徹底的に尊重される
のふたつだそう。
つまり、
ふだんの生活の中で、
絶対的な指導者がいるわけでもなく、
常に論理的に考え、
そして、自分と他人の自由を最大限に尊重する。
というものだと言ってよさそうです。

▲ ルドルフ・シュタイナー (1861年 - 1925年)。
ところで、高次に上昇する際に、
学徒は「境域の守護者」というものに出会うそうです。
境域の守護者
シュタイナーの記述によれば、
それは、それまで自分自身の中にいた美しさと醜悪さの姿を兼ね備えているそうなんですが、そ
の「境域の守護者」が語る言葉について、
シュタイナーは物語風に長く書いています。
シュタイナーの記す「境域の守護者」の言葉(物語風にしたもの)からの抜粋です。
何ページにもわたる境域の守護者」の言葉の記述の中のほんの一部です。
目の前に広がる暗闇を自分自身で照らし出さなくてはならない、
ということを理解するまで、
あなたは私の境域を越えてはなりません。
あなた自身のランプに十分に燃料が入っていると確信できないうちは、
一歩たりとも先に進んではなりません。
これまであなたが頼りにしてきた、
導き手たちのランプは、
これから先の未来においては存在しないのです。
この中に、
先にも出てきました、
しりあがり寿さんの長編漫画『弥次喜多 in Deep 』のラストの場面とリンクする言葉が出てきます。
過去記事、
・30年目のエレキな春 : 精神圏へ移行する人類の覚醒後の姿を夢想させてくれた『弥次喜多 In Deep 』と作者への感謝
2014年04月28日
の中でも書きましたけれど、
「この世には何も存在していない」ということに気づいてしまった少年が、
すでに霊的存在と化している弥次さん喜多さんから、
そりゃあ不安だろうよ
だけどな・・・その不安をな
ぐっとこらえて
ボウズがそこに「ある」と思ったらな
そのちっちゃな足を・・・
そう ぐっと・・・
そうやって前に出していくしかねえんだよ
そうやって・・・
ぐっと・・・
と言われ、
そして、真っ暗な闇の中に少年は歩き出します。
そこから先は「この世は自分で作っていかなければならない」のです。
シュタイナーも今回ご紹介した著作の中で、
人間が高次に移行した後は、
これまであなたを導いてくれていた「宇宙の導き」がなくなり、
そこから先は「自分で自分を導いていく」ことだと述べています。
そういう意味では、
高い次元に移行するということは、
巷で言われる以上に「覚悟のいること」だとも言えます。
それでも、
上に出てきたシュタイナーの考え方は、
「高次元」とか、
そういうスピリチュアルを越えて、
どれも大変に心地よく実に響くものであり、
あるいは「これからの人類が身につけるべき考えと行動」のようにも思います。
今のままの人間の考え方では地球はもたないと私は思います。
ずっと伝え続けてきている
御神事とは
日常生活のすべてだもの。
🌟ありがとうございます🌟