†三嶋大社† | みらくる☆彡

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三嶋大社



舞殿(手前)と拝殿(左奥)

所在地 静岡県三島市大宮町二丁目1番5号
位置 北緯35度7分20.66秒
東経138度55分7.79秒

主祭神 大山祇命
積羽八重事代主神

社格等 式内社(名神大)
伊豆国一宮
伊豆国総社
旧官幣大社
別表神社
創建 不詳
本殿の様式 三間社流造

例祭 8月16日
主な神事 お田打ち神事(1月7日)
粥占神事(1月15日)
奉射神事(1月17日)
鳴弦式(節分の日)
流鏑馬神事(8月17日)



大鳥居


三嶋大社(みしまたいしゃ)は、
静岡県三島市大宮町にある神社。

式内社(名神大社)、伊豆国一宮・総社。

旧社格は官幣大社で、
現在は神社本庁の別表神社。


概要


静岡県東部の伊豆半島基部、
三島市の中心部に鎮座する。

境内入り口の大鳥居前を東西に旧東海道、
南に旧下田街道が走る。

周辺は伊豆国の中心部として国府のあった地で、
のちに三嶋大社の門前町として発達、
いつしか地名も大社に由来して
「三島」と称されるようになったとされる。


社名の「三嶋」とは
伊豆大島・三宅島等から成る伊豆諸島を指すと言われ、
主祭神は伊豆諸島の開拓神である。

当社は、
古代には伊豆諸島の噴火を畏れた人々から篤く崇敬された。

中世に入ると、
伊豆国の一宮として源頼朝始め多くの武家からの崇敬を集めた。

近世以降は三島が東海道の宿場町として発達したことに伴い、
東海道を往来する庶民からも篤く信仰された神社である。


境内では本殿・幣殿・拝殿が国の重要文化財に、
キンモクセイが国の天然記念物に指定されている。

また社宝では、
北条政子の奉納と伝わる国宝の
「梅蒔絵手箱」を始めとして、
多数の所蔵品が国の重要文化財や静岡県指定文化財に指定されている。


社名


伊豆諸島

「三嶋」とは「御島」
すなわち伊豆諸島を意味するとされる。

社名は戦前は「三島神社」と称したが、
戦後は「三嶋大社」を称している。

歴史的には、
史料上で次の呼称が見える[1]。

三島大社/三嶋大社 (『続日本後紀』[原 1])

伊豆三島神社/伊豆三嶋神社 (『延喜式』神名帳[原 2])

三島社/三嶋社 (『吾妻鏡』、北畠顕家文書、北条氏綱文書)

三島宮/三嶋宮 (矢田部家文書等)

通説では、
「三島」の呼称は伊豆諸島に対する尊称
「御島(みしま)」に由来するとされる[2][3][注 1]。

伊豆諸島を指す地名の「三島」としては、
古くは天平13年(731年)[原 3]に
「伊豆三島」の記載が[3]、
平安時代の『和名類聚抄』では
伊豆国賀茂郡に「三島郷(みしまごう)」の記載が見える[3]。

なお、
別説として伊予国一宮の大山祇神社(大三島神)を由来とする説もある[4]。


現在の鎮座地の地名は「三島」であるが、
これは先の伊豆諸島を指す「三島」とは異なり、
古代の史料には見えない地名である[5]。

当地は、
古代には伊豆国の国府があったことから「国府(こう)」と称された[5]。

そして三嶋神が国府に祀られたのち、
13世紀末頃から大社にちなんで地名も
「三島」と呼ぶようになったとされる[5]。


以下本項では、
神名としては社名にならって
「三嶋」の表記を使用するが、
史料の引用では常用漢字体を使用する関係上「三島」の表記を使用して解説する。


祭神


祭神は次の2柱[注 2]。

大山祇命 (おおやまつみのみこと)
積羽八重事代主神 (つみはやえことしろぬしのかみ)

2柱は
「三嶋大神(みしまのおおかみ)」 
または
「三嶋大明神(みしまだいみょうじん)」と総称される[2][6]。

本地仏は薬師如来[7]。


祭神について

三嶋大社の祭神に関しては、
古くは大山祇命祭神説・事代主神祭神説が存在した。

大山祇命説は、
鎌倉時代の『東関紀行』に始まって
『源平盛衰記』『釈日本紀』
『二十一社記』『日本書紀纂疏』等の諸史料に見える説である[8]。

三嶋神が伊予国一宮の大山祇神社(大三島神)に由来するという伝説に基づき[9]、
事代主神説が唱えられるまでは広く定着していた[10]。

一方の事代主神説は、
江戸時代後期の平田篤胤の『古史伝』での主張に始まる説である[9]。

室町時代の『二十二社本縁』に
「都波八重事代主神(中略)伊豆賀茂郡坐三島神、伊予国坐三島神同体坐云」とある記載に基づく[9]。


江戸時代までの祭神は大山祇命とされていたが、
幕末に事代主神説が国学者の支持を得たため、
明治6年(1873年)に事代主神に改められた[11]。

その後大正期に入って大山祇命説が再浮上したため、
2柱説が昭和27年(1952年)に制定されて現在に至っている[11]。


近年の研究では、
三嶋神は「御島神」
すなわち伊豆諸島の神を意味するとして、
上記2説とも後世の付会とする見方が有力視される[12][13][14][15]。

この中で、
噴火の盛んな伊豆諸島で原始的な造島神・航海神として祀られたのが
「ミシマ神」の始まりであるという[15]。

そして「ミシマ」の音から、
後世に他の神に結び付けられたとも推測されている[15]。


つづく。。。