☆†不破明神†★ | みらくる☆彡

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日本古典文学摘集 宇治拾遺物語 巻第十五

一一八五清見原天皇大友皇子に与する合戦の事

現代語訳


昔、
天智天皇の御子に大友皇子という人がいた。

太政大臣となって、世の政を行っていた。

内心、帝がお隠れになったら、
次の帝には自分がなろう、と思っておられた天武天皇は、
その時春宮でいらしたが、
この気配をお感じになり、
大友皇子は時の政を行い、
世間の評判も勢いもすばらしい、
我は春宮であるから、勢いも及ばない、
殺されるだろうと恐れられ、
帝がご病気に臥せられるとすぐ吉野山の奥に入り、
法師になると言ってお籠りになった。

そのとき、大友皇子に、ある人が
春宮を吉野山に籠もらせるのは、
虎に翼をつけて野に放つようなものです。

同じ宮に置いてこそ、
思いのままにできましょうと言うので、
たしかにと思い、軍を整え、
迎えを装って殺害してしまおうと謀られた。

この大友皇子の妻に春宮の娘・十市皇女がいらしたが、
父の命が狙われてることを悲しまれ、
なんとかしてこのことを知らせなければ、と思うものの、
そのすべもなくて、思いあぐねた末、
あった鮒の包み焼きの腹に小さく文を記し入れて送った。

春宮はこれをご覧になり、
ただでさえ恐れていたことなので、
やはり、と急いで下人の狩衣と袴をお着けになり、
藁沓を履かれて、
宮中の誰にも知られぬようにして、
ただ一人、山を越え、北の方へ向かわれ、
山城国の田原という所に、
不案内ゆえに五・六日を費やし、
やっとの思いで到着された。

そこの里人が、
どことなく気高さを感じたので、
高杯に焼いたり茹でたりした栗を盛ってふるまった。

その二色の栗を、
願い事が叶うなら、芽を出して木になれと、
傍らの山の急斜面に埋められた里人は、
これを見て、気になったので、
目印を差しておいた。

そこを出られると、
志摩の国の方へ山に沿って出られたその国の人が、
怪しんで尋ねれば
道に迷った者だ、喉が渇いた、
水を飲ませてもらいたい、と仰せになったので、
大きな釣瓶に水を汲んで差し上げると、
喜んで、おまえの一族をこの国の守としよう、と仰り、
美濃国へと向かわれた。

この国の墨俣の渡しで、
舟が見当たらずにお立ちになっていたとき、
女が、大きな桶に布を入れて洗っていたので、
この渡しを、
なんとかして渡してもらいえないか、と尋ねられると、
女は 、一昨日、
大友皇子の大臣の使者という者が来て、
渡し舟をみな取り隠していってしまったので、
たとえここを渡られたとしても、
他の多くの渡しを越えることはできないでしょう、
こうして謀っているからには、
すぐにも軍が攻めてくるでしょう、
逃げようがありません、 と言った。

では、どうしたらよいか、とお尋ねになると、
女は 、お見受けしたところ、
ただの人ではなさそうですね。

では、隠して差し上げましょう。と言って、
湯槽を裏返しに伏せてその下に隠し、
上に布をたくさん置くと、
再び水を汲んで洗い物を始めた。

しばらくすると、
兵が四・五百人ほどやって来た。

そして、女に
「ここから誰か渡ったか 」と訊いたので、
女が
「高貴な方が兵を千人ほど率いていらっしゃいました。
今頃は信濃国に入られたでしょう。
龍のような見事な馬に乗って、
飛ぶようにしておいででした。
こんな少ない手勢では、
たとえ追いついても全員殺されてしまうでしょう。
これから戻り、
兵を多く整えて追った方がよいのではないでしょうか」と答えると、
本気にして、
大友皇子の兵は全員引き返していった。

その後、春宮が女に
「この辺りで兵を募ったら、集まるだろうか 」とお尋ねになったので、
女は駆けずり回って、
その国で力のある者らを集めて話すと、
たちまち二・三千人の軍が集まった。

それを率いて、大友皇子を追われると、
近江国大津という所で追いつかれ、
合戦をなされば、皇子の軍は破れ、
四散して逃げる際、
大友皇子はついに山崎で討たれて首を奪われなさった。

それより春宮は大和国にお帰りになり、即位された。

田原に埋められた焼栗と茹で栗は、
形も変わらず生え出てきた。

今も“田原の御栗 ”として献上する
志摩の国で水を差し上げた者は、
高階氏の者である
それゆえ、
子孫が国守となっている。

その水を飲んだ釣瓶は、
今も薬師寺にある。

墨俣の女は不破明神となられたという。


http://www.koten.net/uji/yaku/185.htmlより転載