さて、いきなりだが、僕が人生で影響を受けた四大漫画
のひとつに『はじめの一歩』という作品がある
(ちなみに他の三つは『ガンバ!Fly high』、『ROAD~輝ける道~』、
『ラブひな』)。
最近新しい事業を始めるにあたり、いま一度初心に帰ろうと、
先日漫喫で夜を明かしたときに読んでいた。
その42巻、世界J・ミドル級タイトルマッチの控え室で鴨川会長が
鷹村にこう言った。
「努力した者が全て報われるとは限らん。
しかし、成功した者は皆すべからく努力しておる。
ここにおる者全てがキサマの努力を目撃し確認しておる。
自信を持ってリングに上がれ、そして・・・
最後には、キサマが積み上げたものが、拳に宿る」
努力は成功の必要条件であって、十分条件ではない。
その残酷さを否定したくなるときもあるけど、例えば、
陸上でインターハイを目指してどんなに辛い練習に耐えても、
時間を費やしても、6位=1位であり、7位=ビリであるという
事実は変わらない。
それは受験であっても同じだろう。なんだってそうだ。
でも最近、努力をして報われないことなんてないんじゃないだろうか、とも思う。
報われなければ、それは努力した気分になっているだけなのではないか。
たとえ7位=ビリが事実だとしても、そこに「努力した」
という付加価値があれば、それだけで十分報われたと
思う人もいるだろう。
成功の定義は人それぞれだろうけど、努力が報われたと
感じるときこそが、成功なのではないだろうか。
継続と努力は違う。継続は停滞と同じ。例え微々たる要素でも、
以前よりも上を目指さなければ成功はない。
さらに57巻で、鷹村はミドル級タイトルマッチ前の合宿で宮田一郎にこう言った。
「鴨川ジムをおん出て、キサマは一人で上を目指した。 練習もいつも一人きりだろう。
見えるモノも多いが 見えねえモノも多くなってるんじゃねえか?
格下の練習量と比べて満足してんじゃねえぞ。
キサマは何処に行きてえんだ?何を目指してんだ?
やぶれかぶれで生き残れるほど世界は甘くねえ。
・・・だから走れ!たった一人でも走り続けろ!!」
・・・これは、僕が高校の陸上部でただ一人の長距離部員になった
ときから胸に刻まれている。
まぁ、「格下」という言葉はあまりよろしくないので「周り」
という言葉に置き換えているが。
僕は、どんなに「努力した」と思っても、目標が達成できなければ
「報われた」とは思えない。だから、何度失敗しようと、何度でも
努力をしようと思う。
個人事業主としてはじめた頃は一人だったけど、いまはその努力を
みていてくれる人がいる。だからこそより頑張れるし、自信がもてる。
僕は、自分が決めた道を進む。