その人たちのなかには、「今の仕事をする意味がわからない」、「言葉にできないけど、とにかく将来が不安」、「自分の人生がよくわからない」など、いろいろな悩みをもってる人が多い。
たしかに、昔の僕を知る人なら、「やっぱりアイツは変わんねぇな」「アイツはそういうやつだよな」と、今の僕をみて思うだろう。そして、「アイツは昔からずっと強いやつだったからなぁ」というかもしれない。
正直かなり恥ずかしい内容ですが、これによって誰かに勇気を与えられるなら、こんな人間でも立ち直れるんだということがわかっていただけたら、これほどうれしいことはありません。
いよ(゜▽゜)久しぶりだな。元気にしてっか?
年賀状くれてたんだな。こないだ実家から送られてきたぞ(笑)つーか実家帰ってる暇なんかねぇんだから、最初からつくばに送れや(笑)
ってなわけで、今から年賀状書くのもアレだから、手紙にしてみました。実を言うと、おそらく卒業旅行いけないと思うんだわ。でも、やっぱ言っておきたいことがあるから、おめぇに言いたかったこと全部ここにまとめておくことにする。
あいつには何度か会ったけど、おめぇにはホント1年以上会ってないよなぁ。同好会やめてからも何度か競技場に顔出したけど、結局おめぇとは話してないし。
だから、たぶんかなり長くなるだろうし、おめぇの気分も落ち込む内容も多いと思うから、時間あって気持ちが沈んでもいい覚悟ができたときに読んでください。
まず、いきなりだけど僕就職しません。ま、ついこないだ決めたことなんだけどね。
埼玉に就職が決まってたのは事実だし、実際にもう働きにも行ってたんだけど、断ってきました。めっちゃ怒られたわ(笑)かといって、つくばにもいません。
ことの発端は12月のはじめに高校の後輩(学年はいっしょ)からかかってきた電話なんだけど、そいついきなり「オレ卒業しないっす!」とか言い出してさ。そいつ音大に通ってて、去年ハンガリーに留学してたらしいんだけど、留学前にもう内定いくつかもらってて、そこから適当に就職するつもりで、記念みたいな感じで留学に行ったんだと。したら、やっぱ音楽関連で就職したいから、もう一回就活しなおすために留年するってさ。もちろんはじめから音楽系の就職さがしてたらしいけど、うまくいかなくて適当にいけそうなところ探して内定もらったけど、やっぱ今までやってきたことをやりたいんだとさ。
んで、「大村さんはどうすんですか?」ってきかれて、埼玉の旅行会社に決まったわーって言ってさ。就活あんまうまくいってなかったから、受かりそうなとこ受けてみたら受かったって、基本パソコンいじって電話対応して、たまに営業いくだけなんだけどねーみたいな話してたら、そいつにさ、
「大村さん、いつからそんなつまらない人間になったんですか」
って言われたよ。
・・・今思うとあいつにそう言われて改心したと思うと腹立だしいけど(笑)あいつらは僕が高校卒業して奈良に行ったころの僕しか知らないから、僕の生き方をみてそいつは音大にいったし、他にも美大いったり、声優学科いったり、美容院に弟子入りして美容師やってるやつもいる。僕の存在はそこそこ周りに影響を与えてたらしい。だから、なんかすげぇ叱られた(笑)でも・・・うれしかった。こいつは、僕という人間をちゃんとわかってくれてたから。
実は、富士山にいるときにいっつもまわりから、「何でおまえ就職したいの?」って言われ続けてさ。2ヶ月で200万以上稼げるんだから、他の期間バイトしてりゃふつうに働くよりはるかに楽に暮らせるし、お前は世間体とか、まわりに流されて人生決めるような人間じゃないだろって言われてて、「そうだよなぁ」ってずっと思ってて。でも、つくばに帰ってきたら、「せっかく筑波に入ったんだから、いいとこ就職して当たり前」みたいな空気でさ。まわりも僕の家庭事情知ってるから、とにかくはやく就職決めないとみたいに言われて、僕もそう思ってて、時間も金もないからとりあえず関東近辺のいけそうなとこ受けてみてって感じで。
・・・結局、僕はまわりに流されてた。かつての僕ならこんなことなかったのに。
とにかく、その後輩の電話のおかげで、僕は「僕らしい生き方」を思い出した。自分で決めた道を進むことの素晴らしさはすでに奈良で味わってるから、これからは自分と、自分が信じる人たちの言葉を支えにして生きていこうと思う。
・・・まぁ、僕がおかしくなった原因のほとんどはおまえらのせいだけどな(笑)僕が同好会からいなくなったのも、まぁスケートとかバイトとかいろいろあるけど、9割方おまえらのせいだよ。そこそこ気づいてんだろうけど。
これだけははっきりと言うけど、僕が大学に入学してから出会った人のなかで、一番信頼してたのがおまえらだった。三人で過ごしてるときが、一番幸せだった。部屋使わせたり、飯作ってやったり、はたから見たら損しかしてないけど、三人でいることが十分すぎるほどの報酬だった。おまえらなら、何があってもずっとつるんでいられると、本気で思ってた。
いつからかはっきりとはわからないけど、たぶん1年の冬くらいから、僕はおめぇのことが好きだった。恋愛としての「好き」というより、「大切なものを愛おしいと思う気持ち」ってのが適切な表現だけど。だから、べつに付き合いたいわけじゃなかった。付き合ってない、程よいスタンスだからこそ、おまえが僕に心を許してくれてるんだってことはわかってたし、僕もそれで十分だった。なにより、三人の関係を崩したくなかった。
でも、おまえはあの頃「自分はダメな人間なんだ」っていっつも言ってて、同好会でも周りに強がってみせてることも多くなって、よく泣いてて・・・。ダメなんかじゃないって、おめぇのことが本当に大切で、いつも支えになってくれてて、おめぇがいるから、同好会に入ってよかったって、大学にきてよかったって、思ってるやつがいるってことを知ってほしくて。こんなこと言ったら今までの関係がくずれるんじゃないかって思ったけど、あいつには彼女いたし、僕と付き合えば、絶対におまえを傷つけないし、なにより放っておけなかったから。
だから、あの日僕はおまえに告ったんだよ。そしたらおめぇ、なんて言ったか覚えてっか?「うん、大丈夫だよね。私モテモテだもんね」って、人の本気告白軽くスルーしやがって(笑)
でも、それが理想の答えだったよ。これなら明日からも今までどおりやっていけるだろうし、おめぇも元気出してくれるだろうなって期待して。
だから、その後おまえが僕を避けるようになったのは、すごく悲しかったし、腹立だしかった。
その直後、あいつに一部始終話して、そしたらあいつと彼女にもいろいろあって、なんやかんやで結局また三人でつるむようになって、まぁ彼女には悪いが一件落着だと思ったよ。
んで、夏ごろか、ちょうど免許合宿にいってるころ、メールの内容とかでおめぇはあいつのことが好きなんじゃないかと思うようになった。実は、おまえにふられてからずっと、あいつとおめぇが付き合うのが一番だと思ってた。あいつも、おまえが今までどんな付き合い方をしてきたか知ってるから、どういう扱い方をしたらいいかわかってるだろうし、二人が付き合っても、三人でいるときは今までどおりにつるんでいけるほど心が通じ合ってると確信してた。だから、まぁ変態トークも交えつつ、おめぇのほうに気が向くような会話を多くしてたし、実際すでにあいつも結構その気だった。・・・まさか、2年の9月の飲み会のときに、あんなことが起こるとは思いもしなかったけど。
僕はてっきり、せいぜいキスかおさわりくらいだろうと思ってた。当時おめぇには付き合ってる相手がいたから、それくらいでも二人の仲が疎遠になるくらい気を病んでいても不思議じゃないと思った。でも、やっぱ僕は二人がすれ違っているのをみるのは辛かった。その頃僕はまだスケートと同好会両方とも練習に参加してたし、バイトもあったし授業もつまってたから、正直まったく暇はなかったけど、でも僕はおまえらのために時間を使うほうが大事だったから、なによりはやく三人でつるんでる時間を取り戻したかったから、二人に個別に話したり、べつのやつにいろいろ相談にのってもらったりしてた。だから、12月の終わりに二人がくっついてくれて、ホントによかったと思った。多少は僕が入れない時間もできるだろうけど、また今までみたいに三人でつるむことができるだろうと思ってた。・・・もう二度とそんなことはないんだってことは、思いつかなかったよ。
年が明けてから、僕はあいつが憎らしくてしかたなかった。あいつは、僕がまだおめぇのことが好きだって知ってて、自分がおまえと付き合ったから、僕があいつに対して怒ってるんだと思ってたんだろうけど、そうじゃない。何度も言うけど、僕はおめぇとあいつが付き合ったことはよかったと思ってる。あいつは、今までおめぇがどんな相手と付き合ってきたか、どういう付き合い方をしたいかわかってるくせに、それをしようとしない。惚れた女を親友に託したのに大事に扱ってない、全く幸せそうにしてないんだから、腹立って当然だろ。加えて、僕はその頃「あいつは僕がいないと何も出来ないチキン野郎」くらいに思ってたから、追いコンのことで僕に何も相談してこないことも腹立だしかった。だから、追いコンは絶対何もしないつもりだったんだけど・・・。まぁ僕の性格上、そんなことはできなかったわけで。
追いコンの2次会の帰り、あの9月の飲み会のあと何があったかおまえらからきかされたとき、自分でも意識できないくらいショックだった。あいつは僕がまだおめぇのこと好きだって知ってたのに、しかもおめぇには別に付き合ってるやつがいたのに、酒に酔ったいきおいでヤッたこと、当時あいつのこと「魔法使い」ってバカにしてて、おめぇも「あんたならいいよー」とか言って、楽しくふざけあってたのに、ホントにヤッちまうサイテーなやつらだったこと、そのことを半年も僕に黙っていたこと、「責任」で付き合いはじめたやつらのために、自分の時間を潰してまで本気で心配して奔走してたこと・・・。そして、それを知った直後、両親が無職になって多額の借金を背負ったことを知らされた。
もう、なにがなんだかわからなくなった。
あいつも含めて、何人かに僕の家庭事情について話したけど、みんな「真吾なら大丈夫だろう」みたいな、まさに「他人事」といった反応しかしてくれなかった。別に金銭的援助がほしかったわけじゃないけど、何か支えがほしかった。大学での唯一の支えに裏切られ、家族という絶対的な基盤は根本から崩れた。親父は家をでていき、祖父母の土地を売って借金の返済にあて、その祖父母の面倒をみるためにおふくろは毎日パートにでかけ、兄貴は何年も連絡がつかず・・・。
何を頼ればいい?何を支えにすればいい?僕にはもう、支えになるものが何もなかった。そんな状況で「大丈夫」なやつなんて、いるわけないのに。僕自身、人間関係とか、環境の変化なんかで、精神がおかしくなるような弱い人間じゃないと思ってたし、おまえらもそう思ってただろう。だから、「あの時」のことを飲み会帰りの酔った状態で笑い話で済ませる気だったんだろう。
でも、僕は自分で思ってる以上に、おまえらに依存してた。甘えていた。
そして、自分が思っていたよりも、とてつもなく弱かった。おまえらがいないと、まともな生活も送れないほどに。
そして僕は壊れた。この話はなんかどっかでした気がするが、それから僕は授業にもでず、毎日パチンコばっかしてた。ふつうに生活するだけでも大変なのに、バイトで稼いだ金は全部パチンコに消え、それでも足りず個人的に借金をして・・・。もうどうしようもなかった。
そんなとき、富士山の仕事を教えてもらった。富士山にいかなかったら、今でも僕は腐った生活をしてたと思う。富士山の仕事は、さすがに短期間で大金が稼げるだけあって、いろんな事情の人がいてさ。それでもみんなすごく楽しそうに働いてて、「あぁ、自分って小さい人間だな」って思い知らされた。僕の周りで起きたことは「小さい」ことだったとは思わないけど、でも僕自身が何もできなくなったわけじゃない。僕はまだ、望めばなんでもできる状態にあるのに、なにやってたんだろうって、すごく元気をもらった。
富士山から帰ってきたら少し精神的にも余裕ができた。だから、もう全く陸上には興味がなかったけど、あいつが主将で、おまえが渉外で、二人が中心になって参加するクラブ対抗にでようと思った。あいつが表彰台にのぼる姿が見たかったし、まさかおめぇも表彰台にのぼると思ってなかったけど、二人がいっしょに表彰台に立つ姿をみて、本当にうれしかった。そして、やっぱり僕の中では、おまえら二人は何があっても嫌いになれない「特別な存在」なんだと思ったよ。それは今も変わってない。
代替わりミーティングですっぱり同好会と縁をきってから、僕はバイトばっかやってた。そのころ都留文のやつといろいろあって、そいつんとこばっか行ってたし、スケートの遠征も多くなるし、就活もはじまって、とにかく金がなかった。富士山で稼いだ分は、個人的な借金の返済にあてたからもうなかったし。
就活もホントひどかったよ。3年の冬に受けてた会社の面接官にすげぇショックなこと言われてさ。
「キミは陸上やったり、スケートやったり、発掘やって富士山いってバイトもたくさんして、一体なにがやりたいんだ?そんななんでもかんでも手だすような優柔不断なことで、社会人としてやっていけると思ってるの?」ってね。
ショックというより、単純におどろいた。僕は、「何でもできる」ことはプラスになってもマイナスにはならないと思ってたから、そんな考え方をする人がいることなんて思いもしなかった。しかも、それはその会社だけじゃなく、受けたほとんどの会社で同じようなことを言われた。
自分の稼ぎだけで生活しながら大学受験して合格することも、自分で生活費も学費も賄いながら大学生活を送ることも、そんななかで大学からはじめたスケートでインカレ・国体に出場することも、どれをとっても簡単にできることじゃないと思ってた。でも、それを評価してくれる会社はなく、内々定をもらってた企業からも最終的には不合格とされた。
どこにいっても、僕の人生は全て否定された。
ある面接官からは「社会人には学生と違って責任というものが発生するのに、そんなにいろいろやってて、キミには責任感というものがちゃんとあるのか?」みたいなことも言われた。僕は富士山でガイドやってるときに、まぁあまり大きな声ではいえないけど、お客さんを目の前で死なせたことがある。78歳の方で、心不全だったんだけど、もう手遅れなのに救護が来るまで2時間近く心臓マッサージと人工呼吸を繰り返したあの感触は忘れられない。一方で、登山道から転落して頭蓋骨陥没・意識不明の人を背負って救護所まで運んで、一命をとりとめたこともある。そんな経験をしてる僕に向かって、人の命も扱わない、すぐ責任の所在をうやむやにする窓際族の人間が、こっちの話もろくに聞かずに「責任」を問う。・・・腹が立つよりも、滑稽だった。そんな人間の下で働きたいなんてとても思えなかった。
たいてい面接官は、バイト経験やサークルの成績なんて「所詮学生のやったこと」として話半分にしかきいていない。そして「学生と社会人は責任が違う」なんて言い出す。つまりそれは、そいつが学生のときに「責任ある仕事」をしてこなかったことの証だろう?学生のときに「自分はただ遊んでました」って言ってるようなもんだろう?人の話の本質も理解できない器の小さいやつの下にいて、何の得がある?
自分がいかに壮絶な経験をしたところで、やったことない人にはわかるはずがない。スポーツやったことない人間にインカレや国体にでたっていっても、「ふーん」で終わるだけだ。それがどれだけ大変なことか、そこにいたるまでにどれだけの努力を費やしてきたか、想像できるわけがない。富士山の話だって、たいてい周りにはギャグとしてしか受け取られないけど、実際には人の命をつねに背負っている仕事だ。高山病で意識失った人の処置なんて日常茶飯事だ。
親の金で悠々自適な大学生活送ってたやつが、自分の稼ぎだけで生活費も学費も賄って、その上授業と部活を両立させることがどれだけきついことなのか、わかるわけがない。
なにもかもバカらしくなった。今でもそうだけど、僕はずっと、大学に入ったことが人生最大の間違いだったと思っている。だってそうだろ?あのまま奈良にいれば、職もあって金に困ることもなく、周りには気の知れた仲間がたくさんいて、女もいて・・・。それでも、当時お世話になってた研究員に「ちゃんと大学いって研究員になったほうがいい」ってすすめられて、幸福だった時間全部すてて苦労して大学はいったのに、親友は離れていって、親は無職になって、金ないから大学院にはいけなくなり、それならスケートとバイトをがんばろうと思ってなんとかやってきたのに、それも肝心の就活で全部否定されて・・・。
4年の中頃、昼間はマクドナルドでバイトして、夕方部活の練習にいき、夜は大元で働いて、ちょっと寝てまたマックにいき、部活にでて大元で働く・・・。そんな毎日の繰り返し。先のことなんか何も考えてられない。ただ「生きる」ために生活している毎日。・・・生きてる充実感なんて欠片もなかった。たしかに、バイトしてるときは楽しかったけど、家に帰ってくるといつも、「なんで大学きたんだろ」「なんで今大学生なんてやってんだろ」って思ってた。スケートの練習も、たしかにタイムはのびていったけど、同級生は別の大学に混じって練習してるし、後輩は各学年に一人ずついるけど、ケガとか授業優先したりして練習こないしで・・・ずっと一人だった。
ホントに金がなくて、その日生きるのに精一杯で、以前と変わってすごい利己的な人間になってしまったよ。前は誰かのために自分の時間や労力を使うことがうれしかったのに、今は自分に利益のないことは極力しないようになった。3年の11月ごろに都留文のやつといい感じだったけど、そいつは僕が金なくて、ほとんどいつもバイトしてて時間もないのに、わずかな自由に使える時間と金を費やして山梨まで会いにいってるってことを気に病んでて、結局それで別れて。奈良にいたときの彼女だってそう、受験の邪魔になるから別れようって言われて。それが本心だったのかは知らんけどさ。
僕は、自分の好きな人のために自分の時間を使えることが幸せでしかたなかったのに、いつもそれは受け入れられない。以前は余裕があったからよかったけど、自分が生きるだけで精一杯な今となっては、そんな考えももうできない。陸上をやめたのも、インカレにでれるわけでも、まして県で勝つこともクラブ対抗ですら勝つこともできないのに、なんで時間と体力削ってまで一生懸命練習してんだろうって、バカらしくなったから。
今、全然彼女ほしいと思わないけど、きっと誰かと付き合ったら、この全く余裕のない状況でもそいつのために時間と労力を使ってしまうと思う。だから、そこまでするなら、確実に結婚してくれる相手じゃないと付き合いたくない、なんて、サイテーな考えをする人間になっちまった。
まぁ、つまりは僕はそういう人間だ。だれかのために何かをしても、ただの余計なお世話で終わる。それに見合う報酬を受け取ったためしがない。
バイトの時なんかも、僕は給料は同じでも真面目に人より多くの仕事をしてしまうタイプで、でもそれで周りが喜んでくれるならそれでいいと思ってて、だけどバイトかけもちしてシフトはいるの減ったり残業もできなくなると途端に周りは冷たくなった。同好会もそう。学祭も追いコンも、僕がいるときはやたら頼ってくるくせに、忙しくて顔だせなくなると全く話しかけてこなくなる。同好会を辞めたあとなんか誰からもメールすらこないし、競技場の横通っても誰もあいさつもしてこない。
信用されてると思ってたのに。必要とされてると思ってたのに。
それはただ僕の思い上がり。
結局は、僕はただのていのいい「雑用係」でしかなかった。
それが事実だった。
僕の「能力」を必要とする人は多かったけど、「僕」という「人間」を必要とする人は、誰もいなかった。
それが受け入れられなくて、受け入れたくなくて、僕は壊れた。
つい最近まではそれが理不尽だと思うようになって、軽い人間不信みたいになって、バイト以外では全く人と接してこなかった。けど、12月に後輩から電話があって、年始に高校のやつらと飲んで、今書いてきたことを全部話したらみんな受け入れてくれて、言ってほしい言葉を言ってくれて・・・。
自分が幸せになれるとは全然思えないけど、でもやっぱり僕はこういう生き方しかできない。そして、僕のことを理解してくれている人がいることもわかったから、もう間違えない。以前のような、18で家を飛び出したあの頃の自分にもどれるように、これからは生きていきたい。
・・・長っ!!(笑
言いたいことたらたら書いてたらこんなに長くなっちまった・・・。ちゃんとここまで読んでくれてっかな?ちょっと読み返してみたけど、思いつきで書いてっから、文章ひでぇなぁ。まぁおまえらのせいでこんなに長くなってんだから、ちゃんと最後まで読めよ(笑)2年間もだれにも言えずにためてきたことなんだから。
さてと、まぁでもほとんど言い尽くしたかな。したら、とりあえずこれだけ言っておく。
僕は今でも、おまえのことが好きだ。そして、またあの頃のように、三人でつるめる日がくればいいと思ってる。いいと思ってるけど、実際は会いたくない・・・うーん、矛盾してるな。
同好会やめて、おまえらと会わなくなってからも、僕は何度か三人で会えるような提案をしていた。今年富士山にいるときにおめぇを飯に誘ったのだって、もちろん二人でじゃなくて、あいつもいれて三人でってつもりだったんだが、返信すらしてくれなかったな。・・・もう三人で集まっても大丈夫だと思ったんだけどな。
あれが最後だ。もう僕からおまえらを誘うことはないし、たぶんおまえらの誘いにのることもない。おまえらのせいでこんな惨めな人間になったのに、それでも妥協してまた三人でつるめるよう提案したのに、ことごとくそれを拒否したんだ。文句ねぇだろ?僕はもう、自分のことをちゃんと理解してくれるやつらがいることに気づいた。だからもう、おまえらだけにすがるような惨めなまねはしない。ぶっちゃけ、卒業旅行いかないのも、予定云々よりそっちの気持ちのほうが強い。
でも、やっぱり僕はおまえらのことを大切に思ってるし、幸せになってほしいと思ってる。ホントに損な性格だよ。一度好きになったやつのことは、どうやっても嫌いになれない。
ホントは、「弱い自分」をだれかに知られるのはすごく嫌なんだけど、おまえらのなかでは「強い僕」でありたかったけど・・・でも、やっぱり知ってほしかった。だから、この手紙を書いてる。おまえらが本当に大切な存在であったからこそ。
・・・なぁ、おまえらにとって、僕はなんだったんだ?
僕はおまえらのことを、本当に、誰よりも信頼していた。1年のとき、あいつが「大学で知り合ったやつが、中学や高校からの友達以上に仲良くなれるなんて思ってなかった」みたいなこと言ってた。僕もそう思ってた。僕にとっておまえらはホントに近い存在だった。おまえらもそう感じてくれてると思ってた。けど、おまえらは、とても大事なことを僕にだまっていて、とても大事なときに僕のそばにいてくれなかった。僕のほしい言葉を、一度たりともくれなかった。僕のことを誰よりも理解してくれてると思ってた。誰よりもわかっててほしかった。でも、結局何もわかってくれてなかった。僕は、おまえらにとって「その他大勢いる知人の中の一人」でしかなかった。
・・・それがホントに悲しくて、今でも泣きそうになるよ。実際はどうだったのか知らんが、少なくてもそう受け取らざるをえない体裁だった。最近まで、僕のここ2年間の状況を誰にも相談できなかったのは、もし地元の友達でさえ、僕のことを「その他大勢いる知人の中の一人」としてしかとらえてなかったら、僕はもう立ち直れないと思ったから。でも違った。あいつらはちゃんとわかっててくれた。そして、おまえらにも、そうであってほしかった。僕は今でも、おまえらにとって「その他大勢いる知人の中の一人」から抜きんでた、「特別な存在」であってほしかったと強く願ってる。
なぁ、おまえは僕と離れて、あいつと付き合って、幸せだったか?
幸せなら、それでいい。ある人ははあいつと別れた方がおまえにとっていいんじゃないかなんて言ってたけど、二人しかわからない幸せのかたちもあるだろうから、幸せだと思ってるならそれでいい。まぁ「二人ともチキンだから、少なくても卒業まではどっちも別れるなんて言い出さないだろう」という僕の予言どおり、今までやってこれただけかもしれんが(笑)
とにかく幸せでいてくれ。おまえらの幸せに僕は必要なくても、これだけの目にあっても、やっぱり僕はそれを願う。
陸上以外接点ないのに、とくに趣味とかあうわけでもないのに、これだけ気兼ねなく話せて、いっしょにいたいと思えるやつに、この先また出会えるとは思えないけど。好きなやつのことがどうでもよくなるのは、そいつよりも好きなやつに出会ったときしかないと思うから。だから、しばらく僕はおまえのことが好きなんだと思う。もし、おまえのことがどうでもよくなるくらい好きな人ができたら、また三人で集まろう。・・・ま、そんな日はこないかもしれんが。
最後に、僕はおまえが思ってるほどできた人間でもなければ、強い人間でもないよ。一人じゃ生きていけない、本当に弱くて、小さい人間だったよ。それがわかったから、もう遠回りはしない。この4年間があってよかったものだったとはとても思えないけど、いつかそう思える日がくればいいと思う。
それから、おまえらと疎遠になってからの2年間、ホントに、つらかった。さびしかった。もう・・・疲れたわ。だから、今までやってきたことは一旦休むことにする。またいつか余裕ができるときまで、ひとつのことだけに、将来につながることだけに集中していこうと思う。
今まで散々えらそうなことおまえに言ってきたけど、結局、人生も恋愛も、一番わかってなかったのは僕だった。ごめんな、しったかぶって。
・・・長くなって悪かった。もう言いたいことは言い尽くしたわ
ここまで読んでくれてありがとう。
元気でな。
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・・・以上!つーか長っ!!
かつての自分、よくこんなの書いたな・・・。
これを読んで、僕に対する認識が変わった方もいるかもしれませんが、これが事実です。
余談ですが、この手紙の相手とはこれ以来一度も連絡をとっていません。まぁどこかで幸せに生きていてくれればいいなと思います。
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