1999年 16年間のサラリーマン生活(大手真珠メーカー勤務)を経て、39歳で『宝石商』として独立開業。
事業を発展継続させるために、約2,000冊の営業・ビジネス・マーケティングの書籍を読破。
その後、『絶対NOと言われない究極のセールス』で、サンタ営業の開発者・佐藤康行と出会う。
2005年10月、『訪問恐怖症』に陥り、業績低迷のときに、開発者の佐藤康行、愛弟子の岡田基良より、『サンタ営業メソッド』を直伝で指導を受ける。
結果、1ヶ月で売上5倍、130日間で売上13倍を達成する。
2008年10月より、YSjコンサルタントのスタッフとなり、クライアントの業績アップをサポート。
自信喪失・業績低迷に陥っている営業パーソンの方々の無限の可能性を引き出すサポートが、私の使命です。
【動画】被災地からの高橋弘様(ビジネスパートナー)からのメッセージ
ちょっとした心がけが、大きな違いをもたらします。
知人から紹介されて、『秋月辰一郎』調べてみました。
1945年8月9日、長崎に原爆が投下された。その爆心地から、たった1.8kmのところで、
当時聖フランシスコ病院医長であった秋月辰一郎博士と病院関係者は全員被爆した。
博士は焼けただれて痛がる人々に、「水を飲んではいかんぞ!」と大声でどなった。
おそらく直観的に、血液の濃度を保ち、血液を水でうすめることなくガードしようとしたのだろう。
((注)たしかに戦地で、傷の深い重傷の兵士に水を飲ませると、すぐに死んでしまうという記録がある)
さらに博士は、次のように職員に命令したという。
「爆弾をうけた人には塩がいい。玄米飯にうんと塩をつけてにぎるんだ。
塩からい味噌汁をつくって毎日食べさせろ。
そして、甘いものを避けろ。砂糖は絶対にいかんぞ」
(秋月辰一郎著「死の同心円-長崎被爆医師の記録」講談社刊・絶版)
「放射線宿酔」と呼ばれる。
レントゲンを受けたあとに起こることがある全身の倦怠や筒宇などの症状には、
体験上、生理食塩水より少し多めの塩分を含んだ水を飲むとよいということをとっさに思い出し、
原爆の放射能から体をガードするには、塩が有効であることを推理したのだ。
みそ汁の具は、カボチャであった。のちにわかめのみそ汁も多くとったらしい。
砂糖を禁じたのは、砂糖は造血細胞に対する毒素であり、塩のナトリウムイオンは造血細胞に
活力を与えるという、彼自身の食養医学によってである。
すると、どうであろう。そのとき患者の救助にあたったスタッフらに、原爆症の症状が出なかったのである。
ふつうなら、しだいに原爆症の症状が出て、進行してしまうところなのに、彼らはそれからのち、
ずっと現実に生き延びているのである。
このことは、私にとって大きなショックであった。
食というものによる、見かけからはなかなかわからない「体質的な強さ」というものの思い価値を知り驚嘆した。
ちょっとした体質のガードが、明らかに生と死を分けているからである。
博士は人間の体質にとって、みそが実に大切であることを説き、のちにこう語っている。
「この一部の防禦が人間の生死の境において極めて重要なのである」
(秋月辰一郎著「体質と食物」クリエー出版部刊)
博士の書いた「長崎原爆体験記」(日本図書刊行センター刊「日本の原爆記録」第9巻に所収)という本の英訳版が欧米で出まわり、
チェルノブイリ原発事故のあと、ヨーロッパで日本の「みそ」がとぶように売れたということはあまり知られていない。