人生色々 | FUJIYAMAめだかのブログ

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富士山の麓でメダカを楽しんでいます。
当方の飼育環境や飼育方法の紹介をしていきながらブログを通じて日本全国にメダカの輪を広げたいです!

こんばんはニコニコ
FUJIYAMAめだかです富士山

2月に母が亡くなりましたが
ちょうど母の四十九日の30分前に
今度は祖母が亡くなりました。

母方の祖母でしたが
92歳で死因は老衰だったので
大往生だったと言えるとは思いますお願い

母は祖母(親)を残して死ぬ事を
物凄く気にしており、生前に
「私が死んだら祖母も連れてくよ」
なんて言ってましたが
仏になる(四十九日)前日に
本当に連れて行ったので驚きでした。

祖母は
10年くらい前から認知症だった上に
数年前からは完全に寝たきりだったので
ずっと母が介護を行ってきましたが
母の具合が悪くなってからは
自分達孫や曾孫が交代で
介護を行ってきました。

母が介護をしていた時も
実家で介護を行っていたので
祖母には頻繁に会いに行っており
介護も見ていたつもりではいましたが
実際にやってみると予想以上に大変で
母はこんなに大変な事を
8年間も1人でやってきたんだな…と
改めて母に任せきりだった事を
申し訳なく思いましたぐすん

とにかく優しい祖母で
自分達孫も曾孫も、小さな頃から
ずっと良くしてもらっていたので
恩返しをしたい気持ちもあり
皆、率先して懸命に介護を行いましたが
少し前から度々高熱になるようになり
徐々に食事も食べなくなってきて
しまいましたショボーン

床擦れ防止のベッドを使っていたものの
床擦れが少し悪化してきたので
(高齢で治癒力も落ち
床擦れも治らなくなっていました)
高熱の事も心配で病院に連れて行った所
そのまま入院する事になりました病院

それが亡くなる10日ほど前の事でしたが
入院してからは症状が一気に悪化し
水も飲めなくなってしまいましたぐすん

看護士さんに
「口を湿らすだけでも水をあげたい」
…とお願いしましたが
誤嚥の恐れがあるのと
水を与えると痰が絡むので
痰を取り出す方が本人の苦痛だと言われ
何もしてあげられない自分に
何とも歯がゆく
祖母に申し訳ない気持ちの毎日でした。

本人が延命を望んでいなかったので
人工呼吸や無理な点滴などは行わず
自然に任せていましたが
せめて水くらいはあげたかったです。

亡くなる3日ほど前に
病院から電話があり
意識が無く危篤状態だと言われたので
父と妹と一緒に行きましたが
妹が声をかけたら意識が戻り
頷いたり笑ったりしたので
やっぱり身内の事はわかるんだな…
と思いました。

因みに祖母の認知症は
発症から徐々に進行しましたが
数年前からは孫や曾孫はもちろん
母(娘)の事も全くわからない状態でした。

ただ、調子の良い日だけでしたが
名前を呼べば返事をしたりしたので
最後まで名前はわかっていたようです。

祖母は言葉遣いも物凄く丁寧で
とにかく優しい人で
どんな時も自分の味方で
家が近くな事もあり
自分は小さな頃から
祖母に懐いていましたハイハイ

時間があれば祖母の家に行き
世間話や昔話をしていて
自分が学校を卒業して家を出ても
誕生日にはお祝いをくれたり
電話をしてきてくれたのですが
ある時から誕生日に電話が来なくなり
おかしいな?と思ったら
その頃から認知症が始まりましたショック

認知症が始まったのは
今から10年くらい前でしたが
今思えばそれよりも前から
少しずつ症状はあったように感じますうーん

認知症だと言われる前の
本当に最初の頃の症状は
◆私を呼ぶ時に他の孫の名前を全部言う
(例えば私の名前がAで、他の孫がB,C,Dだとすると「ねぇねぇ、B,C,D違うA」と最後に名前が出てくる)
というのが予兆だったかな?…と感じます。

その後、進行は
本当に緩やかに進みましたが、最初の頃は
◆誕生日に必ずきていた電話が無くなる
◆会話は普通に出来るけど、以前した話をまたするようになる
…といった事が目立ちました。

そこから更に進むと
◆数分前にした話を忘れ繰り返し話す
◆友人や知人が亡くなった事(最近の出来事)を忘れる
…という事が多くなりました。

また、その頃から徐々に
◆平らなテーブルに凹凸があるように見えるらしく、カッターでテーブルを削る
◆夫や息子が亡くなった事を忘れる
◆夫や息子の事がわからなくなる
…といった感じになりました。

ただ、この頃も祖母が小学校の思い出は
よく話してくれたので
最近の事から徐々に忘れて行くんだな…
と感じました。

そこから徐々に
◆孫の名前がわからなくなる
◆娘(母)の名前がわからなくなる
◆顔を見せても誰だかわからない
◆家にいても家に帰ると言い出す
◆歩けなくなる
◆会話が出来なくなる
…といった感じになりました。

自分が顔を見せて
「誰かわかる?」と聞いても
「わからない」と言われた時は
さすがに物凄くショックでしたが
それ以上に祖母からしてみたら
見知らぬ人の中で生活をしている感じで
落ち着かなかったんだろうな…と思います。

祖母の夫(自分の祖父)は
今から30年前に癌で亡くなりましたが
20年前には祖母は息子(自分の叔父)も
癌で失っています。

大切にしていた初孫(自分の兄)にも
先立たれています。

認知症が進んでいたので
娘(自分の母)が亡くなったのは
わからなかったようですが

配偶者に先立たれ
2人いた子供にも先立たれ
孫にも先立たれ…

自分に置き換えたら
耐えられない悲しみだと
辛くなります。

戦前の昭和になってすぐの頃に産まれ
激動の世の中を見てきて
孫や曾孫どころか玄孫も見れましたが
長生きをすると
身内や友人は次々と亡くなってしまい
それだけ多くの別れと悲しみがあり
最後は寝たきりで過ごし
自分では何をする事も出来なかったので
長生きをする事が必ずしも幸せとは
限らないのかな…と感じました。

自分も含め、周りの人間としては
少しでも長生きをして欲しいと望みますが
自由に外出も出来ず、好きなモノも食べれず
自由に水も飲めず、トイレも行けず
自分では何も出来ずに寝たきりの状態では
本人としては辛いハズなので
この状態で生きる事に
本人はどう感じていたんだろう?
…と考えさせられました。

祖母の幸せ…と考えると
寝たきりの状態で長生きを望む事は
酷な事だったのかもしれません。

医療の発達で長寿となりましたが
それに伴い、尊厳死などについても
シッカリと考える必要があると思います。

何年か前に祖母が年末恒例の餅つきを
椅子に座りながら見ていましたが
元々は祖父と二人だけだったのに
皆が立派に成長して
こんなに賑やかになって
沢山の孫や曾孫に囲まれて幸せだと
涙していた事を思い出しました。

寝たきりになってからは
辛かったかもしれませんが
葬儀は孫も含め全員で見送れたので
喜んでくれたかな…と思っています。

父方の祖父、伯母、叔父
母方の祖父、祖母、叔父
そして兄、母…

自分も、もう随分沢山の人達を
見送ってきましたが
波瀾万丈であったり
太く短くであったり
幸せだったり辛かったり…
人それぞれ色々な事があり
本当に人生色々だな…と感じ
色々と考えさせられました。

以上
人生色々
でしたニコニコ

一応、メダカブログなので
メダカの話も少し…(笑)

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メダカのお問い合わせが増えてきましたが
近々販売を開始したいと思いますウインク

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