死にたくなったら | 藤さん、藤原義正のブログ

死にたくなったら

藤原義正です。


おはようございます。


昨夜、昨年末にBSで放送していたプロ野球80周年記念番組「カープ初優勝」の録画を観ました。


涙が出ましたね。


今年は、終戦70年、被爆70年で、初優勝の年の終戦30年・被爆30年とは意味合いが異なると思います。


是非優勝し、日本だけでなく、高額契約を一蹴してカープに帰ってきてくれた黒田投手のニュースとともにカープ優勝のニュース、そして終戦70年・被爆70年のニュースがアメリカ全土にも流れて欲しい。


そのために、優勝目指しての日々の努力、優勝へのあくなきこだわりをもって臨んで欲しいです。


ファンはそれを懸命に応援します。




本題に入る前に、ローカルな内容をひとつ。


今朝の中國新聞県北版に、「本日30日、庄原市がグリーンケミカルの債権者破産手続きを申し立てることを、昨日、市議会調査特別委員会に報告」されたことが報道されていました。


これまでにも過去ログに書いてきましたが(http://search.ameba.jp/search.html?q=%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B1%E3%83%9F%E3%82%AB%E3%83%AB&aid=fujiwarayoshimasa )、改めて書かせて頂きます。


庄原市は、どうして補助金を騙し取り(「騙し取られた」、「不正受給」とは、庄原市側の主張であり、刑事事件ではそれが認められてはいますが、庄原市の基本業務の怠りがあると思います)、庄原市との共同事業たる事業を行って来なかったグリーンケミカル(ジュオングループ及び経営者)を救済するのでしょうか。


そもそも、平成22年11月30日のジュオン・コスモエース及びその経営者の自己破産手続き開始発表を以て、庄原市は市民に対する徹底した情報公開、債権回収、告訴、交付金返還を一気に進め、責任ある人は形ある責任を取り、森林政策は新たな時代に踏み出すべきでした。


如何なる理由か、それを全くやらずにいて、NHKの報道という外部的契機によりいきなり告訴して自らの責任は認めようとせず、昨年になって交付金返還の議論をはじめ議会の議決をするに至りました。


新聞には、債権額やその時効について特別委員会に報告されたことが載っていましたが、債権額や時効は債権者破産申し立てとは何の関係もないことを明示しておきます。


債権回収が可能であれば、破産宣告を前提とせずとも出来るわけであり、破産宣告するということは自由な債権回収ができなくなるということであり(自由な財産処分もできなくなります)、破産財団からの配当が終わり破産廃止が認められると、債務者は債権者を泣かすことになっても債務から解放され、債務から救済されるということになります。


その手続きは、受益者たる債務者(グリーンケミカル及びその経営者)が行うべきであり、債権者たる庄原市が進んで行うべきではありません。


補助金交付、ジュオン・コスモエース及びその経営者の破綻発表から随分長期を経過しており、その間その財産は自由な処分が可能であったわけで、事業はやっていないし、自己破産を申し立てようともしない、充分な配当がなされる見込みがあるのか(場合によれば、債権者破産手続きにかかる費用=訴訟費用・職員らの人件費等々も回収できないのではないか)疑わしい、そのような状況下において庄原市が債権者破産を申し立てるとは、常識を大きく外れた決定だと思います。


どうして、これほどまでにジュオンの案件は秘密にしなければならないのか、どうしてこれほどジュオングループを守らなければならないのか、普通の人が普通に考えれば起こる素朴な疑問だと思います。


一体、前執行者(関係補助者)・執行者(関係補助者)・執行者側の立場を執る市議会議員とジュオングループおよびその経営者との間には、何があるのか。


多くの無関心な市民の意識を利用して、こんなことをしていたら、税金の無駄だけではなく、誠実な職員・市民の心を腐らせ、庄原市の破綻につながると思います。


このことを、敢えて、ここに書き残させて頂きます。



さて、やっと本題に入ります。


「死にたくなったら」とは、尋常ならざるタイトルですが、私はマツダで労務管理をしていて、自殺が発生するのに、現象面の忙しさと自殺対策が簡単ではないとの深層心理、さらには「自殺対策」を行うことが必ずしも上層部から支持されないとの思いから、やろうとせずに来たため、これからの人生では、自らの仕事を通じて取り組んでいきたいと思っているので、今日はこのようなタイトルとさせて頂きました。


「私は駄目だ・生きていても仕方ない。もう死にたい」と思われたことのある方は、調べたことはありませんが、案外多いのではないかと推測しています。


かくいう私も、これまでの人生に何度も(というよりも、そういう時期が何度も)ありました。


しかし、死ぬという具体的な行動には踏み切れませんでした。


やはり、「生」というものに執着があり、「まだ道半ばだろう」「まだやり残しがある」「五体満足だし、助けてくれる家族や友人・知人がいる。理解者もいる。生きていれば、チャンスもあるだろう」「警察官に迷惑をかけてはならない。警察官として奉職していた私がそんなことをしたら、警察の面汚しにもなる」等と思っては乗り越えてきました。


皆さんは、「死にたい」と思われた時、どのようにして乗り越えて来られましたか。


自殺者数は、厚生労働省の統計において、年3万人以上が連続10年を超えているとのこと(http://search.yahoo.co.jp/search;_ylt=A2RhZOwftspUIDYAFcWJBtF7?p=%E8%87%AA%E6%AE%BA%E8%80%85%E6%95%B0&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=&afs =)ですが、当然のことながら、これは実数を表したものではないし、表せるものでもありません。


誰にも見つからないように自殺された方は見つかってもいないだろうし、真実は自殺でも自他殺・事故死・病死の別が明らかとならなかった方もおられると思うからです。


自殺が多いということで、自殺を水際で防ごうと、「自殺を考えておられる方はご相談下さい」と呼びかけ、相談に応じておられる団体・個人は少なからず存在しておられるようです。


私の経験に基づいた勝手な判断ですが、自殺を考えていて相談を持ち掛けて来られる方は踏みとどまる可能性が高い方だと思います。


本当に自殺を企図しておられる方は、「誰にも相談できない。私が駄目なんだ。私は生きている資格がない。私はこの世にいるべきではないんだ」等考え、誰にも相談されないと思います。


そして、お亡くなりになられる前は、真は鬱なのに、鬱であることを隠し明るく振舞い、誰とも心と心のベルトを懸けることができない状態、抑鬱症になっておられる場合が多いのではないかと思います。


だから、水際だけでは防ぐことはできないと思います。


そして、抑鬱症の治療だけでも防ぐことはできないと思います。


もっと基本的な「ものの考え方」の部分。


「仕事に臨む考え方」、「人生に対する考え方」、「家庭に関する考え方」等々。


会社でいえば、新入社員教育の時から対応は始めるべきだと思います。


始めるべきといっても、何も大げさなことを行う必要はないと思います。


自殺された方のことを調査してみれば、自殺の方法・場所・遺書・お亡くなりになられる前の言動等々から様々なメッセージを発しておられます。


そのことは、また回を改めて、回を重ねつつ書かせて頂きたいと思います。


死に至るまでには、ご本人の基本的な考え、そしてのっびきならぬ困難に臨んだ時の考え方が大きく影響してくると思います。


頑張りすぎて、コップから水があふれているのにまだ注いでしまい、それに気づいていたり、気づいていなかったりの中で、さらに頑張ってしまい、うまくいかなくて自分を責める、誰にも相談できない、相談しない、精神的に変調を来たす、肉体的にも変調を来たす、「自分はこの世にいるべきではない」「自分は駄目な人間だ」等考える。


それぞれが、目的をもって出生させてもらったのだと思います。


良い人生、良い人間となるために、育んでもらうのだと思います。


それなのに、自らを虐待して死するという結果を招来してはならないと思います。


私は、自らが大したことがない、失敗だらけの人生を送ってきたので、世の皆様に良い人生を送って頂けるためのお悩みごと相談、そしてその解決のために、これからの人生を捧げたいと思っています。



長くなってしまいました。


皆様、今日もご安全に。そして、ご健康で。