願望と自信という言葉を整理しよう。
先ず自信という「信じる」行為には
3種類あります
「信念」の基礎は自分の考えで自己中心的なこと。
「信心」の基礎は自分の快適さで自己気分的なこと。
「信仰」の基礎は自分が神だと信頼すること。
例えば、信念とはテーブルのような物
テーブルには、脚がありますよね。
そして脚になっているのが、
あなたの過去の「体験」です。
テーブルの脚がしっかりしていれば、
ぐらつくことがないのと同様、信念は、
過去の体験がしっかりとしていればぐらつきません。
例えば、自転車に乗れたことがない赤ちゃんは、
「私は自転車に乗れる」という信念は持っていません。
けれども、たいていの日本人の大人なら、
「私は自転車に乗れる」という信念を持っているでしょう。
たいていの大人は、大人になるまでの間に、
何千回と自転車に乗るという体験をするからです。
つまり、その自転車に乗った「体験」が強固だからこそ、
「私は自転車に乗れる」という信念も強固になるんですね。
テーブルの脚(=体験)がしっかりとしているから
テーブル自身(=信念)がぐらつくことがないんです。
それでは、信仰とは何でしょうか?
信仰とは、体験のない信念、
つまり、脚のないテーブルです。
自分が過去にやったことがないにもかかわらず、
「自分はできる」と思ったとき、
あなたはその時点で、
少なからず信仰を持っているのです。
「過去の自分は出来たから今回もできる」
これが信念
「このお守りがあれば出来そうな気がする」
これが信心
「どうやったらできるか常に考えながら、
絶対に宇宙が私を助けてくれると
信頼して努力する」
これが信仰
「信念」の基礎は自分の考えで自己中心的なこと。
「信心」の基礎は自分の快適さで自己気分的なこと。
「信仰」の基礎は自分が神だと信頼すること。
例えば、信念とはテーブルのような物
テーブルには、脚がありますよね。
そして脚になっているのが、
あなたの過去の「体験」です。
テーブルの脚がしっかりしていれば、
ぐらつくことがないのと同様、信念は、
過去の体験がしっかりとしていればぐらつきません。
例えば、自転車に乗れたことがない赤ちゃんは、
「私は自転車に乗れる」という信念は持っていません。
けれども、たいていの日本人の大人なら、
「私は自転車に乗れる」という信念を持っているでしょう。
たいていの大人は、大人になるまでの間に、
何千回と自転車に乗るという体験をするからです。
つまり、その自転車に乗った「体験」が強固だからこそ、
「私は自転車に乗れる」という信念も強固になるんですね。
テーブルの脚(=体験)がしっかりとしているから
テーブル自身(=信念)がぐらつくことがないんです。
それでは、信仰とは何でしょうか?
信仰とは、体験のない信念、
つまり、脚のないテーブルです。
自分が過去にやったことがないにもかかわらず、
「自分はできる」と思ったとき、
あなたはその時点で、
少なからず信仰を持っているのです。
「過去の自分は出来たから今回もできる」
これが信念
「このお守りがあれば出来そうな気がする」
これが信心
「どうやったらできるか常に考えながら、
絶対に宇宙が私を助けてくれると
信頼して努力する」
これが信仰
ちなみに願望は信じる事よりも、
もっと弱く
「私にお金があれば幸せになれる」
「あの人はお金があるから幸せなんだ」
という、所有ありきの考え。
願望は「人事を尽くさず所有を望む」
信念は「人事を尽くして天命を待つ」
信心は「何かを信じながら人事を尽くす」
信仰は「天命を信じながら人事を尽くす」
信心は「何かを信じながら人事を尽くす」
信仰は「天命を信じながら人事を尽くす」
私は願望→信念→信心→信仰
という順番にシフトしていきました。
いじょう。