内容紹介

あの日から10年が過ぎた2020年10月、京都新聞夕刊で「武元前川物語」の連載を始めた。今になって「なんで」の理由を解き明かそうと思ったわけではない。
この間、南京都高校ボクシング部OBの顕著な活躍があった。ロンドン五輪で金メダルを獲得した村田諒太を筆頭に、世界王座を12度防衛した山中慎介、南京都から2人目の世界王者となった久保隼。彼らの活躍が、亡き恩師の存在を少なからず世に浮かび上がらせたことは確かである。
ただそれ以上に、地元紙の記者として南京都の取材を続ける中で、熱く生きた無名の部員や、やけに魅力的なOBと出会い、その姿に惹かれていった。それぞれの生き方の核となる部分に、あるいは片隅にでも、恩師の教えが大切に保管されていると感じた。そのことを書き残すだけでも、きっと意味があるのではないかと思った次第である。(「あとがき」より)

▼南京都高校ボクシング部と武元前川の歩み
1959年 鹿児島県・沖永良部島で武元前川が生まれる。
1975年 沖永良部高校入学。
1978年 日本大学入学。
1980年 南京都商業高等専修学校(後の南京都高校)が開校。
学校法人の創設者は本部廣哲。
ボクシング部発足。初代監督は大坪繁。 
1983年 武元が専修学校へ赴任。
1984年 専修学校を引き継ぎ南京都高校が開校。
1986年 矢追雄一郎(5期生)がインターハイ個人で初優勝。
1988年 京都国体開催。西嶋努(7期生)=現在の監督。
1989年 インターハイで初の団体優勝。主将は橋本尚樹(8期生)。
西井一コーチが赴任。現在のボクシング道場が完成。
1990年 柳光和博(9期生)=プロ入りし世界タイトルマッチ初挑戦。
1991年 武元がスリランカでボクシング指導。
1992年 近藤太郎(11期生)、藤原俊志(同)。
1996年 大原里史(15期生)。
1997年 地元京都で開催されたインターハイで2度目の団体優勝。
主将は岩本充裕(16期生)、紅谷裕司(同)。
1999年 加藤大和(18期生)。
2000年 山中慎介(19期生)=南京都初のプロ世界王者。
2001年 インターハイで3度目の団体優勝。主将は木村昌益(20期生)。
2003年 村田諒太(22期生)=高校5冠。
2006年 米尾達哉(25期生)。三好隆太(26期生)逝去。
2008年 久保隼(27期生)。
2009年 日本アマチュアボクシング連盟が女子強化委員会を新設。
武元が委員長に就任。
2010年 武元逝去。享年50歳。
選抜大会で2年生の高橋拓磨(30期生)が全試合…

著者について

1980年生まれ。同志社大学法学部卒業。京都市在住。2004年、京都新聞社入社。報道部の取材班として2014年、連載「故郷はるか」を含む一連の県外避難者報道で「第21回坂田記念ジャーナリズム賞」、2015年に連載「揺らぐ平和と記憶 米軍Xバンド基地から」を含む一連の米軍基地建設報道で「第22回坂田記念ジャーナリズム賞特別賞」。現在は運動部に所属。これまでボクシング、ラグビー、高校野球など担当。本書が初の著作になる。


遺されたもの: 南京都高校ボクシング部の物語 https://amzn.asia/d/gogi4AM