論スポ ← 試合後からホテルまでの出来事を詳しく書いてくれているのでどうぞ。


セコンドを勤めた伏木崇の運転するベンツワゴンは、首都高を飛ばした。

助手席に枝川孝会長、その後ろに名城信男、最後列に藤原トレーナーが座っていた。

 雨がポツポツと降り始めている。

 名城の右目上は、少し醜く裂け、左目も腫れ上がっている。

「バッティングです...。本当にやりにくい相手でした。ラッキーな運をもらったんだと思います。嬉しいけれど、悔しい。河野はすべてを出し尽くしたかもしれないけれど、僕は、また出しつくせてなかったから...」

 問わず語りで名城が反省を口にした。

 助手席から会長が声をかける。

「勝つと負けるでは天国と地獄や。勝ったことが大きいんや。でも、これから世界チャンピオンとして世界を相手にするには、こんな試合じゃあかん。あれだけ前に出られたら、もっとサイドに動いて、いなして打つことをやらんとな」

 その疑問は、筆者も抱いた。

なぜ、河野の突進をまともに受けたのか。河野の小さいパンチは、実は、ほとんど当たっていなかったけれど、両者、クリンチばかりで決定打がないラウンドは、河野側につける

ジャッジがいてもおかしくない。

 枝川孝会長が、ジャッジペーパーを広げ、名城も、そこに目をやった。

「アグレッシブさをとるジャッジがやはり多いんですよね。クリンチも、河野の体が大きいから、抑え込まれるんです。それを無理にふりはらいながらサイドに動くとスタミナをロスしてしまう...それが怖かったんです」

 それに1ラウンドのスピードの無さは、何だったのか。まるで、スローモーションを見ているような様。藤原トレーナーは「ヘビー級の試合かと思ったで」とジョークを交えたが、試合前のテーピングを巻く時間の設定ミスから、マスボクシングを含むアップ時間に余裕がなくなっていた。名城は「アップが足りなかったかも」と言うが、緊張と力み、それと、過去の試合でほとんど左を有効に使わない河野がゴングと同時にプレッシャーをかけてきて左を多彩に使ってきた想定外が大きな要因だった思う。

 左からワンツーを主体に河野の突進を突き放すプランは、見事に崩れ去った。

 読売テレビのテレビマンでありながらプロライセンスをもち10戦以上している伏木が、

少し重々しい反省会の空気を変えようとした。

「でも、あの右アッパーが流れ変えたな。後半3つ、あれで取ったし、河野も前に出れなくなった。一発ほんとに効いたいたもんな」

 9ラウンド開始直前。藤原トレーナーは「かっこつけんな!行け!」と言った。

 名城は「あの言葉で、開き直りました。アッパーをああやって振るのは、リスクがあるので、怖いんです。でも、これしかないと思ったんです。もう計算したり、考えて打つスタミナとパンチは残っていませんでした。体が覚えていることをやるしかなかったんです」と、世界ベルトを引き寄せたラウンドを振り返った。

「クリンチされることを嫌がってアピールする方法もあったのかもしれません。でも、僕は、そんなかっこ悪いことするのが嫌いなんです」

 名城には名城の美学はある。

けれど、それが敗者の美学になっては、名城を支えてきた人の思いが報われない。

 「かっこをつけんな!」という藤原トレーナーの問いかけは、あの1ラウンドではないことを名城は、もう一度、飲み込み、かみ締めなければならない。

 最終ラウンド、ゴングが鳴り終わって筆者の採点は名城が3ポイントリードしていた。

 枝川孝会長は、ペーパーの左に〇が2つついているジャッジペーパーが、一瞬、目に入ったという。「よし!名城が勝ったと思ったけど、もしかして、まさかまさかがあったらな。ショックやろ」と、黙ってジャッジペーパーが読み上げられるのを待ったという。

 記者席周辺の声は「ドロー」という勝手採点が多かった。

 セレス小林も「基本はドローやったけれど、決定戦だから、どっちかに1点を入れなければならない、そうなると名城かな」と感想を口にした。

 名城が再び話を始めた。

「試合が終わって河野としゃべったんです。『一枚上でしたね』とさばさばした表情で言うんです」

 藤原トレーナーが、そこに言葉を挟んだ。

「拳を交えた人間が一番わかるんや。どっちが勝ったかを。力の差を」

 1年4か月前...。5月のGW。有明コロシアムでの3大タイトル戦。

 名城はムニョスに判定で完敗しベルトを失った。

 試合後、頭が痛いと病院に直行した名城は、部屋を一歩も出なかった。

 用意されていた東京ミッドタウンでの祝勝会は、残念会となった。

 枝川孝会長と、藤原トレーナーは、再起案を朝まで練った。

 減量の調整失敗、右のストレートの復活。

筆者は、たらふく生ビールを飲んで藤原トレーナーに絡んだ。

「エディ賞ってなんやと思う?」

「はあ?」

「エディ・タウンゼントは、勝ったボクサーの傍からは離れ、負けたボクサーの傍に寄り添うトレーナーだった。『勝った人みんな来る。負けた人みんな去るネ。でも私だけ、努力として負けたボクサーから離れない』と言う人だった。おまえが受賞したエディ賞の真価は、負けたボクサーを蘇らせたときにこそあると思うんや。おそらく次の世界戦まで時間はかかるやろう。それが、おまえの真価ちゃうか」

 そんな話をした。

 藤原トレーナーは、練習環境や格安の宿まで調べ上げて高地トレ効果のある菅平の走りこみキャンプに名城を連れていった。東京の妻の実家が経営するマンションに間借りをしてまで、内藤、坂田の両チャンピオンとのスパーリングを実現させた。最後の3ラウンド。苦しい、あの時間に、名城が勝利を引き寄せる内容を見せたのは、「坂田との計16ラウンドがあったからかもしれませんね」と、藤原トレーナーは言った。

 40分ほどで、車は、横浜から都内へと帰ってきた。

休日の夜。道は、気持ちいいほどすいていた。

 名城は自戒を込めて言った。

「ゴンザレスの試合凄かったです。新井田さんも凄かったです。本当の世界とは、あのゴンザレスのようなボクシングだと思うんです。はんぱなかったす」

 車内の全員が、「『アライダ』は頑張った、ゴンザレスはプロだった」と賛同の声をあげた。名城陣営が目指すボクシングの高見は、そういう頂に聳えているものである。

 藤原トレーナーは、1か月の禁酒を切れる瞬間を今か今かと待ちわびている。名城は、腰を深く下ろして、真っ黒な窓を見ていた。 (文責・本郷陽一)