こんにちは。ふじわら動物病院、藤原です。
昨日、気づきがあったので、自分のために書き残しておく。
何も問題もなく、何も悩みもなく、何も心配もなく、楽しく、笑って生活できることが幸せだと自分が勝手に勘違いしていた。(そんなわけねーじゃん)
何も悩みがなく、何も心配もないなんてことは、生きている以上絶対ないものだし、毎時楽しくて、笑っているなんてことなんてあり得ない。
それは、顕在意識では理解しているつもりだったが、潜在意識ではどうやら理解していなかったようだ。
生きていれば、楽しい時もあれば、苦しい時もあれば、悩む時もあれば、ワクワクする時もあれば、笑っている時もあれば、落ち込む時もあるし、いろんなことがある。
それが日常生活であり、常に笑って楽しくてワクワクだけがあるようなことは絶対にない
嫌なことがないとか、不安がないとか、ビビることがないとか、寂しくない、悲しくない、怒ることがない、不満がないことや自分が考える裕福なことや物質的なことや望むことと、現実の生活の何不自由な生活がないということがごっちゃになっていて、幸せな生活という前提が自分は違っていることに気がついた。
人間の感情がある以上そんなことはあり得ない。
昨日、今の生活の中で何か不自由なことがあるのかを考えてみた。
不自由なことは何もなく、強いて挙げるなら、老眼で見えにくくなってきたことぐらいしか思いつかなかった。
これには、自分としては衝撃だった
今までは、仕事の問題、子供の問題、お金の問題、自分の問題など、問題があることと不自由な生活をしているかどうかというのを、ごっちゃに考えていて、今の生活は幸せと感じることができないと勝手に勘違いしていたが、何不自由のない生活を送れているというのは、幸せだということじゃないかということに気がついた。
生きている中で問題がなくなることはあり得ない。
人間の感情や問題の部分と、ごくありふれた日常の生活をごっちゃに考えたり、自分の欲の部分と日常生活のギャップをごっちゃに考えたりすることで、今の生活に幸せと感じることができなかった。
こんな単純なことがわかっていなかったなんて、ウケる~、笑える~、恥ずかし~い。
この気づきは、自分の中ではかなり衝撃だったので、記録として残しておく。
わざわざ皆さんに読んでいただくことではないのですが、読んで「アホじゃねーの」と笑ってやってください。
#気づき #日常生活で何不自由のない生活 #今の生活に幸せと感じることができなかった #不自由のない生活ができているということは幸せということじゃん
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