くま吉とパニックマは、クリスマス前に、11日間かけて、中東(イスラエル、ヨルダン、トルコ)を巡りました。今日は、2日目午後のヨルダン川国境からのイスラエル出国・ヨルダン入国とアンマンへの移動の様子をご覧いただきます。

陸路での国境越え

イスラエルとヨルダンの入出国ポイントは、北から以下の3か所である。ナザレからは、最も北のヨルダン川国境を越えて、ヨルダンに入国し、アンマンへ行く。

  • ヨルダン川(シェイク・フセイン橋)国境:イスラエルのエルサレムから約90キロメートル北北東、ヨルダンのアンマンから約70キロメートル北北西にある。ヨルダンへの入国ビザが無料で発行される(実際にはビザ免除国の場合と変わらない取り扱いを受けた)。
  • アレンビー橋(キング・フセイン橋)国境:イスラエルのエルサレムから約30キロメートル東、ヨルダンのアンマンから約35キロメートル西にある。エルサレムとアンマンから最も近いので、最もポピュラーな入出国ポイントである。ただし、ヨルダンは正式な国境としておらず、他の国境と異なりヨルダン入国ビザの発行を行っていないので、この国境からヨルダンに入国する場合には事前にビザを取得しておく必要がある。キング・フセイン国境からヨルダンを出国した場合に限り同国境からビザなしでヨルダンに再入国することができる。
  • ワディ・アラバ国境:南部にあり、アンマンから300キロメートル南南西にある。紅海岸の2つのリゾート地、エイラートとアカバを結ぶ国境。

2日目昼、ナザレからベト・シェアンへ

ナザレから、ヨルダン川国境の最寄りの町であるベト・シェアンまで、公共バスで移動した。なるべく乗り換え回数を少なくしたかったが、ナザレ近郊で1回、ナザレの南10キロメートルにあるアフラという町で1回、計2回の乗り換えが必要だった。

ナザレ旧市街のバス停でバスを待っていると、タクシーが「どこへ行きたいんだ、乗れ、200ドルだ、乗らないのか、なら100ドルだ、そうか、乗らないのか、なら100シェケル(シェケルはイスラエルの通貨で1シェケルは約30円)だ」とうるさかった。タクシーが去った後、同じバスを待っていた地元の女性に話しかけられ、乗り換えについて教えてもらった。そして、バスが遅れたため、Googleマップの指示により乗り換える予定だったバス停に着いた時は、乗り換えたいバスが出た後の時刻だったのだが、彼女が「次のバス停まで乗っていていい。乗り換えのバスまで送ってあげるよ」と言い、もう一つ先のバス停に乗り換え先のバスがいたので、無事に乗り換えることができた。ありがとう、ナザレの人!

アフラのバスターミナルに到着し、ベト・シェアン行きのバスに乗り換えた。アフラのバスターミナルは、とても汚れていて、とても緊張感があった。のんびり観光客は、ここにはいなかった。

2日目午後、ヨルダン川国境越え

(1)ベト・シェアンからヨルダン川国境へ

アフラのバスターミナルから、バスに30分ほど乗り、ベト・シェアンのバスターミナルに到着した。バスターミナルから国境まで公共交通機関はないので、タクシーで向かうしかないのだが、バスターミナルにはタクシー乗場はなかった。

とりあえず、近くのショッピングモールのようなものに行ってみようと歩き出すと、路肩にタクシーが止まっており、声をかけられた。ここから国境まで、7キロメートル、50シェケルで、彼のタクシーに乗ることにし、10分程度で国境に到着した。車内で、ディナール(ヨルダンの通貨)への換金はイスラエル側ではなくヨルダン側の方が交換率がいいと教えてもらった。

(2)ヨルダン川国境からイスラエル出国

タクシーに別れを告げて、国境検問所へ進んだ。イスラエル兵のお兄さんに「武器をもっているか?」と聞かれ、聞き間違いと思って聞き返してしまったが、ジョークだと気付き「もちろん持ってないよ!俺ら小市民だよ!」と笑って返し、にこやかに国境検問所に入構した。

建物に入ると、全部で10人程度の旅客しかおらず、各窓口にも最小限のスタッフしか配置されておらず、閑散とした雰囲気だった。

最初の窓口は、「旅客運賃」と書かれていたが、いわゆる出国税で、1人102シェケル(なお、アレンビー橋国境では177シェケルと割高のようだ)支払った(なお、米ドルでの支払いもできるが少し高くなる)。なお、この窓口で、ヨルダンの通貨であるディナールへの両替も可能だったが、タクシー運転手さんの助言を信じ、ここでは両替をしなかった。

旅客運賃の窓口の次は、荷物検査のベルトコンベアとゲートが設置されていたが、ゲートは開放されており、素通りした。

パスポートコントロールでは、パスポートとイスラエル入国時ベン・グリオン空港で発行された滞在許可カード(イスラエル入出国においては、パスポートへのスタンプ押印の代わりに、青色の滞在許可カードや赤色の出国許可カードが発行される。これは、イスラエルと対立しているアラブ諸国(イラク、レバノン、リビア、サウジアラビア、スーダン、シリア、イエメン、ソマリア)がイスラエルへの渡航歴がある者の入国を拒否するため、パスポートにイスラエル渡航歴の痕跡を残さないようにするため)を見せ、係員に「他の国を旅行したか」と聞かれ「今回は(まだ)イスラエルだけだよ」と返事し、出国許可カードが発行されて、無事手続き終了。滞在許可カードは、とくに回収されなかった。

パスポートコントロールの先にある免税店を通り抜け、建物の外に出ると、バスが止まっており、出発直前だった。係員にパスポートを見せ、バスに乗車し、バス運転手に運賃5シェケルを支払った(少し高くなるが米ドルでの支払いも可能)。バスは、数分でヨルダン側へ到着した。

(3)ヨルダン川国境からヨルダン入国

バスを降りて、目の前にある「到着」と書かれた建物へ入った。

最初に、「ビザ」と書かれた窓口に並んだが、「日本人はビザ無料だから、そこのパスポートコントロールの窓口に行け」とのこと。「ビザは無料で発行される」と聞いていたが、「ビザ免除」と実質同じむしろ違いがなかった。

パスポートコントロールでは、入国目的と滞在日数を聞かれた程度で、問題なし。ヨルダンへの入国スタンプは、空路であれば問題はないが、陸路の場合は「イスラエルから出国してきた」ことも示してしまう。そのため、「別紙」に入国スタンプを押してもらうことができる。しかし、ヨルダンにとっては知ったことではないし、入国審査官はパスポートを確認したそのままの作業の流れでスタンプを押そうとしたので、「待って」と一言かけ、「別紙」を要求した。審査官は、少し怪訝な顔をしつつ、よくある入国カードを渡してくれ、必要事項(最小限)を記入して返し、そこにスタンプを押してもらった。これで、ヨルダンへの入国手続きは無事完了!

イスラエル側国境に着いてからヨルダン入国まで、約1時間で終了した。後日アレンビー橋国境からヨルダンを出国しイスラエルに入国したが、ヨルダン川国境の方が簡単だった。

2日目午後、ヨルダン川国境からアンマンへ

入国手続きをした建物の隣に両替所があり、ここでディナールに両替した。

次に、「バス」と「タクシー」と書かれた2つの建物があったので、バスの方に行った。ここで、荷物検査があったが、荷物から液体やパソコン他を取り出したりする必要もなく検査装置に流し込んだ。人間は、金属探知機のようなゲートを通ったが、ポケットの中身を出し忘れていたが、問題なく通過した。金属探知機じゃなかったのか、動かしてないのか、よく分からなかったが、和やかな雰囲気で通過した。

建物を出た所は、広大な駐車場で、先ほど「バス」と「タクシー」と別れていた意味もあまりなかった(「バス乗り場方面」程度の意味だったようだ)。しかし、バスは見当たらないし、大変そうなので、アンマンのホテルまでタクシーに乗ることにした。

タクシー運転手が何人もウロウロしているので、話しかけてみると、オフィスの中で料金を支払うように言われた。そして、オフィスで「424ディナール」と言われ、「フォー・トゥー・フォー、フォー・ハンドレッド・アンド・トゥエンティ・フォー」と何度も確認するが、「424」と繰り返されたので、お断りした。一旦引き返し、「424ディナールつまり約7万円と言っているわけだが、アンマンまで道のり100キロメートルとして、日本の相場の倍ぐらいだな、ヨルダンのタクシー相場は、ガイドブックに「待機込みでアンマンと死海の往復で40ディナール」という例が書いてあるから、アンマンまで50ディナール程度でいいはずだ」と考えていると、「44ディナールだ。早く乗れ」と言ってきた。いちおう「40」と言ってみたが、「44だ、早く乗れ」と譲らないので、アンマンのホテルまで44ディナールで手を打った

アラブ人には「金持ちからはたくさん取っていい」という考えがあるので、常にふっかけてくる。食堂のおばちゃんが300円のことを300万円と言わずにはいられないように、彼らは10倍の金額を言わずにはいられないのだとすれば、理解して差し上げる気分になる。しかし、食堂のおばちゃんと決定的に違って、彼らは本当に請求してくるので、やはり相容れない。

タクシーは、2時間程度でアンマンに着いた。ここで、ホテルまで数キロメートルの所で、タクシー運転手が他のタクシーを捕まえ、そのタクシーに乗り換えた。タクシー運転手が別タクシー運転手に料金を渡したので、追加料金はかからなかったが、謎の行動だった。時間がかかりすぎたので早く帰りたかったのかもしれないし、渋滞がひどいので市内のタクシー運転手に任せたのかもしれない。なお、国境から乗ったタクシーは綺麗な車両だったのだが、乗り換えたタクシーはとてもおんぼろだった(シートベルトをはじめ色々な所が壊れていた)。むしろ、こちらが、この国では普通であった。

ホテルは、アンマンのダウンタウンの喧騒の中にあった。アンマンでは、信号が設置されている交差点はまれで、歩行者が所構わず車道を横断するし、自動車の方も運転が荒く、クラクションが絶え間なく鳴り響いていた。また、歩道には、商店が並び、陳列が張り出していて、とても歩きにくかった。そのため、そしていつも通り、くま吉一人で夕食と水の買い出しにだけ出かけた。

買い出しのついでに、フセイニ・モスクの前まで行ってみた。フセイニ・モスクは、アンマンの最も古いモスクの一つで、1923年にアブドゥッラー1世によって建てられた。

テイクアウェイ(お持ち帰り)できる丁度いい食べ物を探し、ラグビーボール型の挽肉クロケットのキッビ・マクリーイェ、ピザに似た挽肉のパイのスフィーハなどを食べた。全部でお値段5ディナールくらい(750円ぐらい)中東の料理に特有の香りも、とくに嫌な感じはせず、とても美味しくいただけた。キッビ・マクリーイェが特に美味しかった。

前日と同じく、疲れのため、19時には就寝した。

パニックマ日記(2日目午後)

ナザレは、この旅で一番過ごしやすかった街でした。観光客もそれほど多くなく、街の人々がとにかく優しかったです。ホテルがどこにあるか迷っていたら、ホテルに電話をして詳しく道を聞いてくれたり。バスの乗り換えで迷っていたら、途中まで着いてきてくれたり。旅の疲れが癒されていきました。

しかし、これからサヴァイヴァルエリアに入っていきます。ヨルダン、怖いよぉ。

次回に続く

以上、2日目午後のヨルダン川国境からのイスラエル出国・ヨルダン入国とアンマンへの移動の様子の様子をご覧いただきました。翌日は、アンマン観光に出かけます。

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