くま吉とパニックマは、紅葉の季節に、11日間かけて、近畿地方を巡りました。今日は、9日目の高野山観光の様子をご覧いただきます。高野山の主な見所は、総本山金剛峯寺(世界遺産)、壇上伽藍(世界遺産)、大門(世界遺産)、奥之院(世界遺産)、苅萱堂、金剛三昧院(世界遺産)、徳川家霊台(世界遺産)です。

8日目夕方、高野山に到着

奈良駅から南海高野山ケーブルの駅である極楽橋駅までは、JR桜井線からJR和歌山線に乗り継いで奈良県から和歌山県に入るルートの方が道のりは短いのだが、JR大和路線で大阪の新今宮駅まで一旦出て(35分)南海特急「こうや」(90分)で行くルートの方が早く着く。

奈良駅から、JR大和路線に乗り、少々遅れが出たが、新今宮駅ではJR改札の直ぐ向かいに南海改札があり乗り換えは簡単で、南海特急「こうや」に無事間に合った。高野山に夕方に着く時間帯で、12月から2月は本数減のため運休(1時間前の便が「こうや」の最終になり、この時間帯に高野山へ行くためには急行を乗り継がなくてはならなくなる)になる便で、乗客は少なかった。一方、途中すれ違った上り電車は満員だった。そして、同じ車両に乗っていた乗客は次第に減っていき、終点の極楽橋駅では誰もいなくなっていた。極楽橋駅からは、南海高野山ケーブルに5分乗り、高野山駅に到着し、駅前のバス停からバスに乗り、宿泊地の最寄りバス停までバスに乗った。

8日目は、遍照光院(へんじょうこういん)というお寺の宿坊に宿泊した。高野山に泊まるからには、普通のホテルや旅館ではなく宿坊に泊まりたいが、一般的な宿坊では共用トイレのみという難点がある。しかし、遍照光院は、各部屋にトイレが付いているのであった。

部屋自体は、旅館のコンパクトな和室といったようなもので、テレビも付いていた。部屋には、お札などのたくさんのお土産が置いてあった。ありがたや。

宿坊では、お寺体験として、写経、阿字観、朝のお勤めの見学を希望できるのだが、写経は一般的な寺院でもできるので今回は見送り、阿字観は午後4時からだったので参加できなかったが、翌朝の勤行を見学させていただく。

夕食を18時から広間でいただき、お風呂は共同浴場で21時まで。お坊さんの夜は早い。翌朝は、6時30分お勤め開始。お坊さんの朝は早い。

パニックマ日記(8日目夜から9日目朝)

旅8日目。今日は、高野山に移動して、なんと宿坊に泊まります。今回初めての夕食と朝食がついたお宿でした。思っていたよりとても快適で、精進料理というものを初めて食べました。お吸い物も煮物も冷たかったけど、味が染込んでいておいしかった。ごま豆腐がとにかくおいしかった。

旅9日目。今日は6時に起床。パニックマは大体毎日9時頃に起きますので、 それはそれは頑張りました。朝の勤行に参加の後、朝食。お味噌汁のみ頂いて、くま吉にあとはお任せ。おなかがすいていないときに朝ご飯をがっつり食べてしまうと、その日一日中血糖値が乱高下して機嫌が悪くて大変です。

9日目、高野山

高野山は、和歌山県北部、周囲を1000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地に位置し、100か寺以上の寺院が密集する日本では他に例を見ない宗教都市である。ただし、金剛峯寺大門から奥の院まで、片側1車線の国道が西から東に走っており、その交通量も多く、思ったよりも世俗的ではあった。高野山を含む高野町の人口は3000人。

高野山は、真言宗の宗祖である空海(弘法大師)が、京都の東寺とともに、修禅の道場として開創した。高野山は、真言密教の聖地、また、弘法大師入定信仰の山として、21世紀の今日も多くの参詣者を集めている。

真言宗(しんごんしゅう)とは、空海(弘法大師)によって9世紀(平安時代)初頭に開かれた、大乗仏教の宗派で日本仏教の一つ。真言宗は、大日如来の悟りの世界を直接明らかにしようとするもので、「大日経」と「金剛頂経」に基づき、胎蔵と金剛の二部を立て、真言呪法の加持力で即身成仏を期するのが本旨。真言とは、「マントラ」の訳で、大日如来が説いた真実のことば。

空海は、最澄(天台宗の開祖)と並び、平安仏教を開いた僧である。著作家、書道家としても優れ、灌漑事業などを行った社会事業家、綜藝種智院を開設した教育者としての側面もある。後世には「お大師様」として半ば伝説化・神格化され、信仰の対象ともなっており、日本の仏教、芸術、その他文化全般に与えた影響は大きい。空海は、774年、讃岐国屏風浦(香川県善通寺市)に生まれ、俗姓を佐伯氏といった。十代末から30歳頃までは修行期で、奈良の寺院で仏典の研究に励み、時に山野に分け入って修行した。804年に留学生(るがくしょう)として唐に渡航し、長安・青龍寺の恵果に密教の奥義を学び、806年に帰国した。816年に時の嵯峨天皇から高野山の地を賜わり、真言密教の道場を設立することとした。空海は、高い峰に囲まれた平坦地である高野山を八葉蓮華(八枚の花弁をもつ蓮の花、曼荼羅の象徴)と見なし、山上に曼荼羅世界を現出しようとした。しかし、交通不便な山中のことで、工事ははかどらず、空海の在世中に完成した堂宇はごくわずかだった。また、当時の建築物は現存していない。

空海の他界後、弟子であり実の甥でもあった真然が約20年をかけて根本大塔などの伽藍を整備した。835年には定額寺に列し官寺に准ずる寺格を得たが、その後は京都の東寺との確執もあった。994年には、落雷による火災のためほとんどの建物を失い、僧はみな山を下り、衰亡の時期を迎えた。しかし、1016年頃から再興され、藤原道長、白河上皇、鳥羽上皇が参詣し、現世の浄土としての信仰を集めて栄えた。その後も、同山で出家する貴族や武士が増え、最盛期には2000を超える堂舎が立ち並んだ。その後も、戦国時代の戦国大名や江戸時代の諸大名をはじめとする有力者が、宿坊、子院、霊屋、墓碑、供養塔等を建立した。

現在、高野山は、「一山境内地」と称し、「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場を中心とする金剛峯寺(こんごうぶじ)の境内である。境内には、総本山金剛峯寺、大本山宝寿院、さらに117の子院がある。

遍照光院をチェックアウトし、荷物を預け(12時まで)、総本山金剛峯寺へ10分歩いた。

総本山金剛峯寺(そうほんざんこんごうぶじ)は、高野山真言宗総本山の寺院。「金剛峯寺」という寺号は、元々は真言宗の総本山としての高野山全体と同義であるが、明治期以降は高野山真言宗管長が住む総本山寺院の名称になっている。ユネスコ世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一つ。

拝観入口で拝観料500円をお納めし、主殿に入った。

大広間では、重要な儀式・法要が執り行われるる。正面奥の持仏間には、本尊に弘法大師がまつられている。

1984年の弘法大師御入定1150年御遠忌大法会にあたって新設された新別殿の休憩所で、お茶をいただいた。

高野山マスコットキャラクター「こうやくん」は、2015年の開創1200年を迎えるにあたって2009年に生まれた。

蟠龍庭(ばんりゅうてい)は、新別殿と同じく弘法大師御入定1150年御遠忌大法会の際に造園された。蟠龍庭は、2340平方メートルの広さで、国内最大級の石庭である。今まで見た石庭のうち、最も壮大で美しいと思った。

総本山金剛峯寺を後にし、壇上伽藍へ向かう。

弘法大師が「東西に龍の臥せるがごとく」と高野山を形容し、壇上伽藍を頭として現在の蓮花院(れんげいん)までを龍が臥している形に例えたことから、龍のお腹付近にあたるとして、壇上伽藍へ続く道は、蛇腹路と呼ばれている。

壇上伽藍は、胎蔵曼荼羅の世界を表しているといわれ、金堂、根本大塔、西塔、御影堂などが立ち並ぶ、高野山の聖地の一つであり、中心地である。ユネスコ世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一つ。

蛇腹路を数分歩くと、左手には国宝の不動堂が立っている。不動堂は、1198年の創建、現在の堂は14世紀初頭の再建で、1908年(明治41年)に現在地に移築された。桧皮葺(ひわだぶき)、入母屋造の住宅風仏堂である。

根本大塔は、伽藍の中心として、高野山開創当初から着手され、887年に完成した。現在の塔は、1937年(昭和12年)の空海入定1100年を記念して再建されたもので、高さ50メートルの2層の多宝塔である。中尊は、丈六の胎蔵大日如来坐像、その四方に金剛界四仏を安置し、本来別々の密教経典(「大日経」と「金剛頂経」)に説かれている「胎蔵曼荼羅」の仏像と「金剛界曼荼羅」の仏像を一緒に安置しているが、これは「両者は根本的には1つ」という空海の思想を表したもので、「根本大塔」という建物名もこれに由来するという。

金堂(こんどう)は、初代の堂は弘法大師が819年より造営し838に完成したと伝わり、現在の8代目の堂は1934年に再建されたものである。本尊は、秘仏で、像容は阿閦如来(あしゅくにょらい)、像名は薬師如来とされている。

西塔(さいとう)は、根本大塔とは対照的に、金剛界大日如来像と江戸時代作の胎蔵四仏を安置している。西塔は、887年に初代塔建立、現在の塔は5代目で天保1834年の再建で、高さは27メートル。

高野山開創の伝承によると、弘法大師は、密教を広めるにあたり「日本の地元の神々によってその教えが尊ばれ守られる」とする思想を打ち出し、819年に山麓の丹生都比売神社(天野社)から地主神として勧請、高野山の鎮守とした。これは、神仏習合思想の大きな原動力となった。山王院は、後に建てられた拝殿である。

中門は、819年に創建され、1843年に焼失後172年ぶりに2015年に再建された。

壇上伽藍を後にし、西へ10分歩いて、大門へ行った。

大門は、高野山の入口に立つ一山の総門であり、1705年の再建で、高さは25メートル。「高」「野」「山」の看板が格好いい。ユネスコ世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一つ。

大門の左右には、金剛力士像(仁王像)が安置されている。この仁王像は、東大寺南大門の仁王像に次ぐ日本2番目の巨像と言われている。

大門を後にして、高野山の東側にある奥之院までバスに乗って移動したかったが、大門を通るバスは本数が少ないようで、高野山の中心まで歩いて戻ることにした。

大門と中門の間の国道480号沿いに、児童公園に立つ鳥居、奥の階段の上に立つ社がある。祓川弁財天社(はらいかわべんざいてんしゃ)といい、高野七弁天の一つに数えられている。伝説によると、弘法大師が高野山の水源に七弁天を作ったとされている。なお、弁財天は仏教の仏様であって、神社に祀るなら弁財天と同一視されている宗像三女神とする方が、明治以降の考え方としては正しいのだが、ここは高野山であり、神仏習合のままでよいのだろう。

中門まで戻る国道480号沿いには、同じく高野七弁天の湯屋谷弁財天社(ゆやにべんざいてんしゃ)もある。湯屋谷弁財天社は、国道沿いにあるとは思えないほどひっそりとしていて、一面の黄色い落ち葉が美しかった。

高野山大師教会は、高野山真言宗の布教、御詠歌、宗教舞踊等の総本部で、各種研修会や講習会が開催されている。大講堂は、1925年に高野山開創1100年記念として建立され、本尊には弘法大師、脇仏に愛染明王と不動明王が安置されている。

赤いのぼりと門に誘われて、常喜院内の地蔵堂に立ち寄り、参拝した。地蔵堂には、赤地蔵尊とも呼ばれる真っ赤な恵宝地蔵尊、同じく真っ赤なさすり地蔵尊、水かけ不動尊などがいらっしゃった。

東へ向かってさらに歩き、千手院橋(東)バス停からバスに5分乗り奥之院口バス停で下車した。

奥之院表参道が、一の橋から御廟橋まで2キロメートルにわたって続き、御廟橋の先が弘法大師入定の地とされる奥之院である。ユネスコ世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一つ。

奥之院参道には、20万基を超える諸大名の墓石や、祈念碑、慰霊碑の数々が、樹齢1000年の杉木立の中に立ち並んでいる。奥之院参道には、戦国大名をはじめとして歴史上の様々な有力者の墓が建てられている。

参道の終点に、頌徳殿という休憩所、大黒天を祀り弘法大師の食事を作る御供所、不動明王と大師像を祀る奥院護摩堂、水向地蔵がある。

奥之院に入ると、石段の上には灯籠堂が立っており、その奥に弘法大師入定留身の地である御廟がある。弘法大師は、高野山という巨大寺院の中、日本史上の有力者たちの墓に囲まれた長大な参道の終点で、禅定に入っている。高野山を歩き、奥之院参道を歩いて、これを実感した結果、かえって、弘法大師を形容する表現が分からなくなった(簡単ではない)。

奥之院を参拝した後、奥之院口バス停まで再び2キロメートルの表参道を戻るのではなく、奥之院前バス停へ10分歩いた。高野山の中心部へ、少しバスに乗った。

苅萱堂(かるかやどう)は、悲話として広く知られる「苅萱」の物語において、苅萱道心(かるかやどうしん)が出家し、実の子である石道丸(いしどうまる)とともに父子を名乗ることなく仏道修行に明けくれたと伝えられている。

ここで、遍照光院に戻り荷物を回収した。ここから先は大荷物を持ち歩くことになってしまったが、残りの目的地もわずかだ。遍照光院から、途中坂道になったため時間もかかり15分ほど歩いて、金剛三昧院へ行った。

金剛三昧院(こんごうさんまいいん)は、高野山真言宗別格本山で、本尊は愛染明王、開基は北条政子。ユネスコ世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一つ。

金剛三昧院は、1211年に源頼朝菩提のために創建され、1219年に源実朝菩提のために改築、以降将軍家の菩提寺として信仰された。多宝塔は、1223年に建立され、日本で2番目に古い多宝塔であり、国宝である。また、樹齢800年を超す天狗杉も象徴的である。

金剛三昧院を後にし、坂を下り、千手院橋から北へ、20分歩いて、徳川家霊台へ行った。徳川家霊台の入口で、拝観料200円をお納めし、中に入った。

徳川家霊台(とくがわけれいだい)は、1643年に三代将軍徳川家光によって建立された。一重宝形造り(いちじゅうほうぎょうづくり)の建物が二つ並んでおり、向かって右が東照宮家康公霊舎(おたまや)、左が台徳院秀忠公霊舎である。ユネスコ世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一つ。

徳川家霊台は、日光東照宮でも見たことがあるような建物で、とても徳川だった。

9日目午後、高野山から渡瀬温泉へ(次回につづく)

以上、9日目の高野山観光の様子をご覧いただきました。この後、千手院橋(東)バス停から「世界遺産バス」に乗り、熊野本宮大社の近くの宿泊地である渡瀬温泉へ向けて出発しました。

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