くま吉とパニックマは、紅葉の季節に、11日間かけて、近畿地方を巡りました。今日は、3日目の京都観光(3)の様子をご覧いただきます。目的地は、賀茂別雷神社(世界遺産)、賀茂御祖神社(世界遺産)、鞍馬寺、貴船神社です。

ホテル5泊6日のうち3日目の朝

京都では、AirBnBで見つけた元離宮二条城近く京都中心部の宿に5泊6日お世話になっており、3日目の朝を迎えた。

3日目、京都観光

京都3日目の本日は、バスと電車で移動しながら、上下の賀茂神社、鞍馬、貴船エリアに行く。叡山電車(叡電)が、叡電とバス乗り降り自由のフリー切符を発売しているが、くま吉とパニックマは歩く所は歩くので、むしろ高くつくと判断し、購入しなかった。

まず、宿から最寄りの堀川三条バス停から上賀茂御薗橋バス停まで、25分バスに乗り、少し歩いて、賀茂別雷神社(上賀茂神社)に着いた。

賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は、山城国一宮。通称「上賀茂神社(かみがもじんじゃ)」と呼ばれる。上賀茂神社は、京都最古の歴史を有する一社であり、かつてこの地を支配していた古代氏族である賀茂氏の氏神を祀る神社として賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに賀茂神社(賀茂社)と総称される。賀茂神社は、奈良時代には既に強大な勢力を誇り、平安遷都後は皇城の鎮護社として、京都という都市の形成に深く関わってきた。賀茂神社両社の祭事である賀茂祭(通称「葵祭」)で有名(葵祭は、現在では京都三大祭の一つに数えられ、5月15日に行われる)。上賀茂神社の祭神は、賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)。上賀茂神社は、ユネスコ世界遺産「古都京都の文化財」の構成資産の一つ。

二ノ鳥居を入った正面には細殿があり、細殿の前には2つの円錐状の立砂がある。立砂は、神体である神山(こうやま)を象ったもので、鬼門にまく清めの砂の起源とされる。

玉橋越しに見る楼門が美しい。

中門前で参拝。中門の中には、国宝の本殿と権殿がある。

参拝を終え、引き続き境内を散策していると、境内の東側に渉渓園という小川が流れる庭園があり、「願い石」が祀られていた。パワー!み!な!ぎ!る!

渉渓園の先に、鳥居が立ち並ぶ坂道があり、その先の二葉姫稲荷神社は、上賀茂神社の摂社の片山御子社(上賀茂神社境内にあり、主祭神は玉依姫命(たまよりひめのみこと))の神宮寺の鎮守社で、神宮寺が移転した後に鎮守社だけが残ったそうだ。二葉姫稲荷神社は、山の中にある小さな神社だった。

二葉姫稲荷神社から、上賀茂神社に戻らず、別の参道を降りて、次の目的地へのバス停に向かって住宅街を歩いていると、お社と大きな御神木に出会った。上賀茂神社の末社の藤木社、祭神は瀬織津姫(せおりつひめ)。

上賀茂菖蒲園町バス停から下鴨神社前バス停まで、25分バスに乗り、賀茂御祖神社(下鴨神社)に着いた。西参道から、境内に入った。

賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)は、山城国一宮。通称「下鴨神社(しもがもじんじゃ)」と呼ばれる。下鴨神社(なぜ「鴨」の字を当てるのか)は、賀茂別雷神社(上賀茂神社)とともに賀茂氏の氏神を祀る神社であり、両社は賀茂神社(賀茂社)と総称される。両社で催す賀茂祭(通称「葵祭」)で有名。本殿に、右に賀茂別雷命(上賀茂神社祭神)の母の玉依姫命(たまよりひめのみこと、玉櫛媛)、左に玉依姫命の父の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)を祀るため、「賀茂御祖神社」と呼ばれる。下鴨神社は、上賀茂神社と同様、ユネスコ世界遺産「古都京都の文化財」の構成資産の一つ。

中門の中に入り、東西の本殿に参拝した。また、干支の守護神を祀る7つのお社から成る言社があり、くま吉とパニックマの干支それぞれにもお参りした。

境内の東側には、川のようにも見える池があり、井上社またの名を御手洗社(みたらししゃ)が井戸の上に建てられている。祭神は、偶然にも先ほど藤木社でお会いした瀬織津姫(せおりつひめ)。池は、御手洗池(みたらしいけ)という。みたらし団子は、御手洗池に湧き出る水泡の姿に由来している。池の清水は、無病息災を祈る祓い浄めの水であり、また、葵祭の斎王代清めの水である。

御手洗池の北に、顔出し看板があった。葵祭の斎王代のイメージだろうか。

御手洗池に架かる橋と鳥居も美しい。

楼門から外に出て南口鳥居までの間に細石(さざれ石)がある。国歌「君が代」は、平安時代の勅撰和歌集「古今和歌集」の読人知らず「我が君は千代にやちよにさざれ石の巌となりて苔のむすまで」を初出とし、当初は「祝福を受ける人の長寿」を歌ったもので、転じて「天皇の治世」を奉祝する歌となっているが、この細石は、非常に長い歳月を比喩表現した「小石が巌となり苔が生えるまで」の実例の一つである。

南口鳥居を出て、表参道を南へ「逆走」していった(写真は振り返って撮ったもの)。表参道の森である糺の森(糺ノ森、ただすのもり)は、国の史跡として指定を受け保存されている原生林だ(原始林ではない)。

下鴨神社の境内の南端には、下鴨神社の摂社である河合神社がある。主祭神は神武天皇の母である玉依姫(たまよりひめ、下鴨神社の主祭神である玉櫛媛も玉依姫と表記されることがあり混乱する)。河合神社は、女性守護と美麗の神として信仰され、美麗の祈願絵馬として鏡絵馬の授与を行っている。

糺の森の南端から200メートルさらに南に、下鴨神社の表参道の南の鳥居が立っている。南に歩くと、直ぐに鴨川と高野川の合流地点に出て、そして東岸に出町柳駅がある。

出町柳駅から、叡山電車(叡電)に30分乗り、鞍馬駅へ。途中、紅葉のアーチの中を通過する際には速度を落とし、叡電は観光電車としての一面もあった。

京都の奥にある鞍馬山では、山岳信仰、密教による山岳修験の場として栄えた。そのため、山の精霊である天狗もまた鞍馬に住むと言われる。鞍馬に住む大天狗は、僧正坊と呼ばれる最高位のものであり、また、鞍馬山は、天狗にとって最高位の山の一つであるとされる。鞍馬は、牛若丸(源義経)が修行をした地として有名であり、能の「鞍馬天狗」でも知られる。鞍馬駅前で、2体の天狗が観光客を出迎えていた。

鞍馬駅を出ると、天狗グッズを取りそろえる土産物屋が数軒あり、坂道の先に鞍馬寺の仁王門が立っている。

鞍馬寺(くらまでら)は、9世紀末から真言宗、12世紀から天台宗に属する寺院だったが、1949年に独立し現在は鞍馬弘教総本山である。山号は鞍馬山(くらまやま)。鑑真の高弟・鑑禎(がんてい)によって開山されたとされる。本尊は、寺では「尊天」と称し、毘沙門天王、千手観世音菩薩、護法魔王尊を三身一体の本尊であるとしている。

仁王門で「愛山費」を支払い、先に進み、ケーブルカー駅へ歩いた。鞍馬寺は、宗教法人としては唯一の鉄道事業者として、2分ほどであるが標高差89メートル上の多宝塔まで、ケーブルカー(鞍馬山鋼索鉄道)を運行している。なお、ケーブルカーは、鞍馬の火祭で有名な由岐神社(ゆきじんじゃ)を通り過ぎてしまうので、由岐神社に行きたい場合はケーブルカーを使わず登山道を登る(一旦登って戻るのもあり)必要がある。

ケーブルカーを降り、多宝塔に着いた。

多宝塔から石畳を歩いていく。間もなく、下からの登山道と合流する。

多宝塔から本殿金堂まで、10分、456メートル、標高差40メートルを歩いた。灯篭が並ぶ石畳や山々の景色が美しかった。

京都の北に位置する鞍馬寺は、元々は、毘沙門天(四天王のうち北方を守護する)を本尊とし、併せて千手観世音を祀った寺院であった。しかし、鞍馬弘教立教後の現在の鞍馬寺の信仰形態は独特のもので、毘沙門天王、千手観世音菩薩、護法魔王尊を三身一体とする「尊天」を本尊としている。

鞍馬弘教の説明によると、鞍馬寺本殿金堂(本堂)の本尊は「尊天」であるとされる。堂内には、中央に毘沙門天、向かって右に千手観世音、左には護法魔王尊が安置され、これらの三身を一体として「尊天」と称している。「尊天」とは「すべての生命の生かし存在させる宇宙エネルギー」であるとする。また、毘沙門天を「光」の象徴にして「太陽の精霊」、千手観世音を「愛」の象徴にして「月輪の精霊」、魔王尊を「力」の象徴にして「大地(地球)の霊王」としている。鞍馬寺とは、どこにでも存在する「尊天」のパワーが特に多い場所にして、そのパワーに包まれるための道場であるとしている。「尊天」の一人、「護法魔王尊」(サナト・クマーラ)とは、650万年前、金星から地球に降り立ったもので、その体は通常の人間とは異なる元素から成り、その年齢は16歳のまま、年をとることのない永遠の存在であるという。

サナト・クマーラは、ヒンドゥー教の神話に登場する賢人にして、ブラフマーの精神から生まれた四人のクマーラ(チャトゥルサナ)の一人である。近代神智学では、1850万年前に金星から、地球のロゴス(地球の創造主、神)の、物質界における代理人としてやってきた霊的指導者マハトマである。「世界君主」として、マハトマの頂点に位置して、人類を含めた全ての生命体の「進化」を統括しているとされる。
護法魔王尊の仏像は、背中に羽根、高い鼻、長いひげをたくわえた仙人のような姿をしている。「鞍馬天狗」とは、元々、護法魔王尊であったと思われる。「鞍馬」は「クマラ」の転化とされる。

仏教の枠を飛び出したスピリチュアルな山岳信仰の一つの形と理解した。パニックマも、いつも以上に興味深いようだった。

奥の院参道に続く門の上が、とても紅葉だ。

金堂からさらに山を登って、徒歩40分、途中、牛若丸(源義経)の「背比べ石」、牛若丸が鞍馬天狗と出会った「僧正ガ谷不動堂」、義経公を遮那王尊として祀る「義経堂」を通り、奥の院魔王殿にたどり着いた。意外と普通の御堂だった。

奥の院魔王殿を後にし、鞍馬山を西に降り、徒歩20分、貴船に出た。貴船川沿いの道に、旅館や店が並んでいる。

貴船神社(きふねじんじゃ)は、全国に約450社ある貴船神社の総本社である。地域名の貴船「きぶね」とは違い、水神であることから濁らず「きふね」という。水神である高龗神(たかおかみのかみ、淤加美神(おかみのかみ))を祀り、古代の祈雨八十五座の一座とされるなど、古くから祈雨の神として信仰された。水の神様として、全国の料理・調理業や水を取扱う商売の人々から信仰を集めている。

古来より、歴代天皇は、干ばつの時には黒馬を、長雨には白馬を奉納して祈願をしていたといい、後に生きた馬に替えて、馬形の板に着色した「板立馬」を奉納したと伝えられる。これが現在の絵馬の原形となったため、貴船神社は「絵馬発祥の社」といわれる。さらに、木または紙に描かれた馬の絵によって代用されるようになり、江戸時代に入って個人が小型の絵馬を神社に奉納する習慣が広くする流行するにいたった。

また、縁結びの神としての信仰もあり、小説や漫画の陰陽師による人気もあり、若者の参拝客も多い。その一方で縁切りの神、呪咀神としても信仰されており、丑の刻参りでも有名である。ただし、「丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻」に貴船明神が貴船山に降臨したとの由緒から丑の刻に参拝して願いを掛けることは心願成就の方法であり、呪咀が本来の意味ではない。平安時代には、貴船神社に、丑の刻であるかは不明だが夜に参拝することが行われていた。時代の変遷と共に、本来の意味が変質したようだ。

夕方から参道の灯篭が点灯し、とてもフォトジェニックだったが、若い女子グループをはじめとして、映える写真を撮ろうと同じ場所にずっと滞留している人が多く、とても混雑していた。くま吉も、旅行中に大量の写真を撮るので、周囲の邪魔にならない状況下と思った時はしばらく立ち止まることもあるが、夢中になりすぎることもあると思うので、反面教師にしたいと思った。

本宮を参拝した後、奥宮へ坂道を10分歩いた。途中、雨が降り始め、レインウェアを羽織った。

貴船神社は、社伝によれば、神武天皇の母である玉依姫(たまよりひめ)が、黄色い船に乗って、淀川、鴨川、貴船川を遡って当地に上陸し、水神を祭ったのに始まり、社名の由来は「黄船」による。奥宮境内に、玉依姫命が乗ってきた船が小石に覆われたものと伝えられる「御船型石」がある。

奥宮の参拝も終え、帰路に着いた。雨の中、奥宮から貴船口まで坂道を下って40分歩いた。本当は、さすがにバスに乗りたかったが、本宮を少し下った所にあるバス乗り場に近づくと「もう満員なので、もう少し下った場所にある臨時バス乗り場まで行ってください」と言われ、臨時バス乗り場にも結構な人が並んでいる上に屋根なしだったので、「すでに10分以上雨の中を歩いていて30分以内に駅に着くのであれば進もう」と判断したのだった。

帰りの叡電は、かなり混雑していたが、紅葉ポイントで車内を消灯し車窓からライトアップされた紅葉を楽しませてくれた。叡電には30分乗り、出町柳駅着。

出町柳駅からは、京阪、地下鉄を乗り継ぎ、宿にたどり着いた。

パニックマ日記(3日目)

旅3日目です。今日はぐっすり眠れました。お菓子を食べ過ぎた日って、ぐっすり眠れちゃうのですよね~。いいんだかわるいんだか。

日中は、チーズ、柿ピー、チョコを食べ、夜は、焼き鳥さん、シュークリームさんを食べました、

私は猛烈に乳製品が好きなのですが、生クリームが特に好きです。一時期は毎日のようにシュークリームを食べていました。前世は牛だったのだと思います。モーモー。

次回につづく

以上、3日目の京都観光の様子をご覧いただきました。翌日も、引き続き、京都観光に出かけます。

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