くま吉とパニックマは、18日間かけて、北海道、東北を旅行しました。今日は、17日目の日光観光の様子をご覧いただきます。日光の主な見所は、日光東照宮(世界遺産)、日光二荒山神社(世界遺産)、日光山輪王寺(世界遺産)、華厳の滝です。

ホテル3泊4日のうち3日目の朝

鬼怒川温泉の南のはずれにあるホテルハーヴェスト鬼怒川というホテルに3泊4日お世話になっており、3日目の朝を迎えた。実は、前日から、くま吉に歯痛が発生し、持参のバファリンを飲んで飲んで耐えた。素泊りかつ近所にスーパーもコンビニエンスストアもない環境だったので、パニックマの食事量調整は乱れることはなく、パニックマの調子は順調だったはずなのだが、パニックマに心配をかけてしまった。

出発する準備を整えていると、SL大樹が走る音が聞こえ、ベランダから、その雄姿を見ることができた。SL大樹は、下今市駅と鬼怒川温泉駅を1日3往復している観光列車だ。

ホテルの最寄りの駅は、東武ワールドスクウェア駅で、朝と夜は全ての電車が通過する駅であり、初日は夜に到着したために隣の小佐越駅で下車しなければならなかったが、2日目朝以降は東武ワールドスクウェア駅を利用できた。東武ワールドスクウェア駅から電車に40分乗り、東武日光駅に到着、310円。途中の各駅での停車時間が長かった。

17日目、日光観光

東武日光駅に到着し、駅内の東武ツーリストセンターで、東武バスの「中禅寺温泉フリーパス」2000円を購入。様々な1日乗車券があり、日光の社寺と華厳の滝に行く場合の最適な乗車券だ。そして、単純に東武日光駅から華厳の滝まで往復2300円よりも安い。

東武日光駅前のバスターミナルからバスに乗り、8分ほど、神橋バス停で下車。

神橋は、日光二荒山神社の本社の一部で、日光山内への入口に、大谷川(だいやがわ)に架けられている。神橋は、「日本三奇橋」の一つに数えられる。神橋は、奈良時代末、下野国出身の勝道上人の日光開山に際して、深砂大王(じんじゃだいおう)が2匹の大蛇をして橋となし、その上に菅が生じたとされ、この伝承により、古くは「山菅の蛇橋(やますげのじゃばし)」(または単に「山菅橋」あるいは「蛇橋」)とも呼ばれた。1902年(明治35年)の足尾台風による洪水で流失したため、現在の橋は1904年に再建された。

神橋という名前が格好いいし、大谷川も綺麗な水で、とても美しい景色だった。世界遺産「日光の社寺」巡り、最初からエクセレントだ。

神橋の先に世界遺産「日光の社寺」の記念碑があり、ここから本格的な参道が始まる。世界遺産にもなって観光地化されてしまっても神聖さを失っていないように見える木々に囲まれた石段を登り、さらに歩いて、日光山輪王寺に着いた。

日光山輪王寺(にっこうさんりんのうじ)は、天台宗の門跡寺院である。近世までは、東照宮、二荒山神社と合わせて、「日光山」あるいは「日光三所権現」と呼ばれていた。明治初年の神仏分離令以後、これらは「二社一寺」と称され、「日光山」は輪王寺の山号となり、輪王寺に属する寺院群は、日光山中に点在することとなった。輪王寺の境内は、東照宮、二荒山神社の境内とともに、国の史跡「日光山内」、世界遺産「日光の社寺」に指定されている。

輪王寺は、奈良時代末、下野国出身の勝道上人により開創されたと伝承されている。1645年、3代将軍徳川家光によって、大雪で倒壊した本堂が再建され、現在の大きさとなった。本堂(三仏堂)では、御神体である日光三山の本地仏として、3体の本尊、すなわち、千手観音(男体山、新宮権現、大己貴命(おおなむちのみこと))、阿弥陀如来(女峰山、滝尾(たきのお)権現、田心姫命(たごりひめのみこと))、馬頭観音(太郎山、本宮権現、味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと))(以上、三山、三所権現、祭神)が、祀られている。本堂は、2007年(平成19年)から平成大修理が行われ、2018年末に工事用の素屋根が撤去されたが、現在も改修工事は続いていた。

日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)は、江戸幕府初代将軍徳川家康を神格化した東照大権現(とうしょうだいごんげん)を祀る東照宮の一つであり最大のものである。家康の遺命(1616年死去)は、久能山への埋葬および日光山への神社造営であったので、家康は久能山に葬られ(1617年)、同時に日光東照宮も造営された。1617年、家康の一周忌に、久能山東照宮から日光東照宮に分霊された(かつて改葬説が広く信じられてきたが、最近の研究では日光へ運ばれた神柩の中に遺体はなかった説が有力)。日光東照宮は、3代将軍徳川家光によって寛永の大造替が行われ、1636年までに完成した。最初は久能山と日光山の2つだった東照宮は、その後、全国に建てられた(数百社が建てられ約130社が現存)。

石鳥居へ続く参道は、道幅が非常に広く豊かな木々に囲まれている。徳川家康あるいは東照大権現の威光を感じながら、日光東照宮へ歩を進めた。

石鳥居をくぐると、左に五重塔、目の前に表門がある。五重塔は、1650年に建てられ、その後、火災に遭ったが、1818年に再建された。日光東照宮の最初の門である表門には、左右に仁王が設置されており(仁王門とも呼ばれる)、ここから先は、有料(大人1300円)で、飲食禁止だ。

日光東照宮の建物には、多様な動物の木彫像がみられることが多く、これらの動物のほとんどは、平和を象徴している。神厩舎は、ご神馬をつなぐ厩であり、猿が馬を守るとされていることから、猿の浮彫画面が8面ある。8面の浮彫画面には、猿の一生が描かれており、ひいては人間の平和な一生の過ごし方を説いたものとなっている。「見ざる、言わざる、聞かざる」で有名な三猿は、この神厩舎に造られたものの1枚だ。「見ざる、言わざる、聞かざる」は「幼少期には、悪事を見ない、言わない、聞かない方がいい」という教えである。なんにしても、かわいいのである。

神厩舎の向かいには、春秋渡御祭「百物揃千人武者行列」で使用される馬具や装束類が収められている上神庫、中神庫、下神庫(総称して三神庫)が並び、先には鳥居、鼓楼、鐘楼、その奥に、陽明門が立っている。まさに壮観だった。ここは、記念写真撮影スポットだった。

陽明門は、建物全体に、故事逸話、子供の遊び、聖人、賢人など、500を超える彫刻がほどこされており、一日中見ていても飽きないということから、「日暮御門」と称されている。門の名は、平安京大内裏外郭十二門のうちの陽明門に由来する。無数の彫刻と、金色の配色、黄金、ゴールド、これが江戸幕府の権力か!

陽明門の左右は、袖塀を介して、東西廻廊につながっている。廻廊の外壁には、我が国最大級の花鳥の彫刻が飾られている。いずれも一枚板の透かし彫りには、極彩色がほどこされている。

陽明門を入ると、正面に唐門があり、その先は拝殿本殿があり、拝観することができる。

奥宮に続く坂下門に出る手前には、眠り猫がいる。眠り猫は、左甚五郎作と伝えられ、牡丹の花に囲まれ日の光を浴びうたた寝をしているところから「日光」に因んで彫られたとも言われている。眠り猫は、日光東照宮の他の動物の木彫像と同じように、平和を象徴している。

長い石段を登って、奥宮まで。奥宮拝殿の先にある御宝塔に、東照大権現(徳川家康)が分霊されている。

薬師堂(本地堂)の内陣天井には、鳴き竜がいる。元々は狩野安信が描いた竜で、竜の頭の下で手を叩くと竜が鳴く。昔は参拝客それぞれ手を叩くなりして鳴き竜を楽しむことができたようだが、今は混雑をさばくために案内のお坊さんが代表して拍子木を叩く。このお坊さん、日本語と英語で解説をしていたが、ノリノリだった。鳴き竜の仕組みは、音響工学の専門家に任せたい。なお、薬師堂は、1961年に焼失したが、建物の再建に際しては天井画とともに鳴き竜現象も再現された。

薬師堂は、東照宮の表門(仁王門)の内側にあるのだが、仏寺式なので輪王寺に属するようだ。薬師堂にて「普通のお守りは1年でご利益はなくなるが、日光のお守りは効果が永続ですよ!」というお坊さんのありがたいお言葉を信じ買った「最強のお守り」には、「日光山輪王寺」と書かれていた。

日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)は、日光三山を神体山として祀る神社である。本社は日光山内にあるが、他に、中宮祠、奥宮がある。境内は、日光三山を含む日光連山八峰(男体山、女峰山、太郎山、奥白根山、前白根山、大真名子山、小真名子山、赤薙山)、華厳滝、いろは坂などを含み、その広さは3400ヘクタール、伊勢神宮に次ぐ面積を有している。

輪王寺大猷院は、1653年に建てられた3代将軍徳川家光の廟所だ。家光の「東照宮を凌いではならない」という遺言により、金と黒を使用し重厚で落ち着いた造りになっている。大猷院は、東照宮と異なり、仏寺式の建築群であるため、輪王寺に属している。

皇嘉門(こうかもん)は、竜宮門とも呼ばれ、明朝様式の竜宮造りだ。皇嘉門は、家光の墓所がある奥之院への門であり、閉ざされていた。

日光山内を後にし、西参道入口バス停から、バスに40分乗り、登り専用の一方通行道路である第二いろは坂を登り、中禅寺温泉バスターミナルで下車。バスは、登り専用の一方通行道路である第二いろは坂を登って行った。いろは坂は、初期のいろは坂に48個のヘアピンカーブがあったことから名づけられたとされる(いろは48音)。現在は、大幅に改良され、登り専用の第二いろは坂(「い」から「ね」の20カーブ)と下り専用の第一いろは坂(「な」から「ん」の28カーブ)となっている。中禅寺温泉バスターミナルから、中禅寺湖畔に立ち寄り、また戻って、華厳の滝へ歩いた。

華厳の滝(けごんのたき)は、勝道上人に発見されたと伝えられ、仏教経典の1つである華厳経から名づけられたといわれる。華厳渓谷周辺では、他に、阿含滝、方等滝、般若滝、涅槃滝もあることから、五時の教判から、それらと同様に命名されたものと考えられている。華厳の滝は、男体山の噴火によってせき止められた中禅寺湖から地表を流れる唯一の流出口である大谷川に存在する。落差97メートルを一気に流れ落ちる様子は、日本三名瀑の一つにも数えられているほどで、大迫力だった。

華厳の滝入口バス停から、バスに40分乗り、いろは坂をグワングワン回り、東武日光駅へ戻った。

17日目、鬼怒川温泉のホテルに戻り、翌日は東武ワールドスクエアへ(次回につづく)

以上、17日目の日光観光の様子をご覧いただきました。東武日光駅から電車に乗り、東武ワールドスクウェア駅で下車、ホテルに戻りました。翌日は、東武ワールドスクウェアへ行きます(最終日)。

こちらもよろしくお願いします

ブログランキング

私の他の活動

Amazing Travel
Amazing Travel
YouTube
Youtube
Instagram
Instagram