「筑紫哲也NEWS23」だけに私から取材依頼をした理由② | 銀座ではたらく社長のblog

「筑紫哲也NEWS23」だけに私から取材依頼をした理由②

昨日の記事 にも書きましたが、「筑紫哲也NEWS23」だけに私から取材依頼をした理由の続きです。

(発売3週間で書籍を読んだ5万人はこの辺りのことはよく理解しているでしょうが、それぞれのテレビや新聞でしか私を知らない1500万人の方のために説明する必要があると思いますので補足しています。)


本題の昨日の続きに戻ります。


私が、懇意な有名番組の著名プロデューサーではなく、それまでは別段、懇意では無かったTBSのA氏にお願いした理由ですが、それは熱意でした。


私は1月23日に余命宣告を受け、その後、数日間、絶望の淵を歩いた挙句に、出口を見つけたのはご存知のとおり、「最後の事業計画」のおかげでした。


私は「取材をして下さいという手紙」ではなく、「事業計画をご一緒したい」という依頼書を送付しました。


私にとってこれまでの闘病ドキュメントにありがちな「生きた証を残したい」とか、「自分のことを覚えておいて欲しい」などということは全くどうでもいいことでした。

・・・というよりも「美しく死んでいく」とか、これまでの闘病記のようなものは絶対に嫌でした。

反発がある表現かもしれませんが「もし、死ぬのなら、死んだ後のことはどうでもいい」と思いました。

余命宣告前はブルーハーツの歌のように「惜しまれながら死んでいく英雄に憧れー・・・」と思っていましたが、いざ、死が現実に迫るとそんなことは絶望から抜け出すモチベーションにはなりませんでした。


それを理解してくれたのが、TBSの報道デスクのA氏と彼から紹介された、NEWS23のデスクのAS氏でした。


一方、某著名プロデューサーの方は立場上、現場には一切タッチしませんし、超多忙ですので、話を迅速に進めるために、現場責任のチーフディレクターをすぐに寄越してくれました。


私のことをご存知のプロデューサーと違い、彼は私のことを知りません。


「原稿を一文字も書いていない書籍の出版が決まっている!」とか、しかも、「出版することだけでは意味が無く、事業計画のためには、ある程度のベストセラーにすることが必須で、それは確実にできる!」とか、「一流放送局の一流ディレクターである自分でも会えないような有名なベンチャー経営者達が、こんな聞いたこともない無名経営者と業界の慣習を崩してまで何かをする」ということを当然のように述べる私をまるっきり信じようとしませんでした。


それどころか、ムキになって100%ありえないと否定しました。


更には、「”元キャスター”、”有名医療ジャーナリスト”のような有名人の闘病者でさえ、”社会貢献”は建前で本音は”生きた証を残したい”だった。ましてや、”銀座の有名ママ”とか”元サーファー”とか、”ライター”などの一般人は、闘病を取材されたことさえ活気的だった。あなたも虚勢を張らずに被写体に徹してください。」という主旨の説得をされました。


一方、A氏は、現場を担当するAS氏に任せるのではなく自分自身で夜中までかかって質問攻めにしながら私にヒアリングしました。

そして、話が終わった後にこういいました。

「権力者からそうでない人まで多くの人に会いましたが、私もAS君もこんな緊張したことは滅多にありませんでした。きっとあなたなら出来るはずです。ぜひ、撮らせてください。」


私はその日、すぐにもう一方のプロデューサーとディレクターにはお断りのお詫びを入れ、NEWS23の取材を受けることにしました。


この件は明日が最終回です。

お楽しみに。


ちなみに、今日のライブドア「病気とたたかう社長BLOG」 では、「今日の通院に関する事件(!?)について、ヤプログ「毎日が最後の晩餐」 では、テレビの反響に関しての現状の悩みも含めて、こちらはかなり重要なことを率直に書いています。


ぜひ、お読み下さいね。