第1回目のマグロ会と同じ日、
「 鮨 水谷 」がその歴史に幕を閉じました。
水谷親方とは、すきやばし次郎横浜店からのお付き合い。
偶然の出会いからお取引が始まり、
色々な事を教わりました。
NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」
をご覧になって頂いた方は、ご存知かもしれません。
唯々国産本マグロを扱ってみたいというだけで、
無茶をしていたこの時期。
番組内のナレーションで流れた言葉に、
物真似で買ってお渡ししたマグロに対し、
「あれ、良くねえな」 と!
腹も厚く赤身も冴え、脂もびっしり。
誰が見ても、一流のマグロ。
私は、本当に驚きました。
資金も乏しく、無理に買い付けたマグロ。
その評価は、散々なもの。
ただ、実はちょっと嬉しかったんです。
一流のマグロ、私も美味しいと思っていなかったんです。
子供の頃父がおかずで持ってきてくれていた、
安価なマグロの頭の身。
父のマグロの方が、香りもあり味わい深いものでした。
その感覚は、今でもはっきり覚えています。
そのマグロが、私のマグロの原点なんです!
その日からマグロに対しての考え方が、全く変わりました。
翌日から周りに捉われず、
自身が旨いと思うマグロを追い求めました。
そのマグロをお渡しした時、
「あれ、良いな」
親方は、余計な事は言わない方。
そのたった5文字の言葉が、
水谷親方と私の思いが通じ合った瞬間の様に思います。
終わりの月の半ば、母と最後の食事をさせて頂きました。
もちろん普段は、撮影NG。
早めに入って、最後のわがまま。
マグロは、大間の一本釣り。
マグロを切り付けする親方!
マグロを握る親方!
これが最後かと、たいへん感慨深い一時。
私にとって、良い思い出を超える時間となりました。
10月末日マグロ会を終え、
その足で「 鮨 水谷 」 に向かいました。
店前にはお疲れ様でしたと、
その一言の為に大勢の待っている方々が。
私は図々しくも、その間を割ってお店の中に。
勿論お店の中にも、お客様たちがびっしり。
最後の時を、一緒に迎えさせて頂きました。
この写真は、お付き合いしてから初めて入った神聖なつけ場。
そこで、お疲れ様でしたの一言。
私は自身が、最後の瞬間泣くのかなって思っていました。
涙は、全く出ず。
その時の、水谷親方のやり切ったぞという表情。
それは、泣く事も忘れさせる最高の表情でした。
思えば、こんな事も。
それは、ミシュラン東京が初めて出版された時。
お客様主催の3つ星祝いパーティーが開催され、
その中で私がマイクの中で放った言葉は、
「3つの星の内の1つは私の手柄」だと!
そんな生意気な発言も、笑顔で返して頂いた親方。
沢山のご出席の方々と、
最高の美酒を味わっていらっしゃいました。
閉店後、お猪口を2口頂きました。
父が他界する前に、親方のお店に伺った時の出来事。
嬉しさのあまり、
浪曲を歌いだしたり他のお客様にお酒を注いで回ったり。
長い歴史の中で、そんなお客は父だけだったでしょう。
赤面しながら、親方の顔色を伺っていたのを覚えています。
微笑みながら、接してくれた親方。
私にとって、最高の親孝行の一つだったでしょう。
惜しまれつつ歴史に幕を閉じた、「 鮨 水谷 」。
もっと続けて欲しい!
皆さま、口々に仰っていました。
かくなる私も、その一人。
でも、今は違います。
これが水谷親方らしい、潔いけじめの付け方。
敢えて、普段通りに呼ばせて頂きます。
水谷さん、お疲れ様でした!
数々の思い出に浸りながら、
今日はこの桐子で、
亡き父と一献酌み交わしたいと思います。