ツィッターのTLを見てると、
かつての大戦で大負けした原因が、
軍の一部の人間によって、
間違った判断の下、多くの犠牲者が出たのを想わせる。
国政(政府)に任せる危うさ。
憲法9条は、政府が戦争するか、しないかを判断してはいけない。
という単純明解な答えを出しているように思える。
僅か数人、数十人の判断で、一億人の生活を変えるような判断をしてはいけない。そんな気になってくる。
地方にしても似たような話を聞く。
行政の、何とか委員会で、一人の委員が、
「市民の話を聞いていない。」と発言する。
その意味は、もっとオープンにして、広く市民の話(意見)を聞くべきだ、ということだが、行政側にしたら、委員会は、市民の各代表である委員の話(意見)を聞いているので、結果的に市民の話(意見)を聞いたのと同じだろうという判断があるようだ。
当然、各委員は、大抵小さなヒエラルキーのトップで、一般市民ではない。一般市民が入ったら、まとまる話も、まとまらなくなるだろう。
また、一般市民の代表は議員になるのだろうが、議会では、これもまた、票田の代表のようなもので、一般市民とは違う。
だからこその議論が必要なのだろうが、そのまともな議論が行われる場(場所)がない。ツィッターを見ると、ツィッターこそが、まともな議論の場に見えてくるから不思議だ。
ローカルツィッター・・・ツィッタークラスター・・・クラスターネットワークみたいな。
いずれにしても、何となく根本的な誤りがあって、それが原因で今の政治行政に危機感や不安を覚えるのかもしれない。
より良い独裁を望める程の人材が、今の国政にいるのか?というような。
議論を見せた上で、Googleツィッターで、情報処理して、ベクトルを求めるとか。