人は誰かのために何かしら生きる力を得る。
美しい話はなかなか受け入れにくいものです。
だけど自分が実際に体験したり体感することで
「美しい」=「拒否」「否定」「拒絶」とはならない。
愛されなかった人にとって「愛」という言葉は
吐き気もするし薄気味悪く感じたりもする。
「愛」という言葉自体に
猛烈なアレルギー反応が出たりもします。
過去の私がそうでしたから言うてます😆
だけど知ってしまえたら
すんなり受け入れることができるんですね。
「知る」とは、それを「体験し体感した。」
という経験です。
親だけが「愛」を与える人ではないです。
親や兄弟姉妹から受けられなかったとしても
「愛」を知ることはできます。
例えばボランティア活動なんて全く興味なかった人が
震災を経験し復興の中で
沢山のボランティアの方々に助けられ
生き続けることができた経験があると
どこかで震災が起きた時、
今度は自分がボランティアに行きたくなると言います。
そして実際に行動に起こされます。
他人から受けた愛をどこかで与えたくなるからね。
その愛を知ったから。
世間一般的に悪ガキやと言われている子供は
好きでそうなっていない。
本当はもっと別の姿であり、
そのキャラで生きなければ仕方なかっただけのこと。
そして、その姿で踏ん張って生き続ける姿は
私には健気にも感じます。
私のスタエフを聴いてくださった「セーラジ」さんが
以下のようなコメントを書いてくださっております。
本人も無自覚だからこそ分かりにくい✨
表面化して顕在化してないだけで存在する宝石💎
見えてないだけで存在している可能性を信じて探す気持ちを大切にしたいです💗
By S'ay la zy.セーラジ関東
私も、そう思います。
(それが相手を理解しようとすることでもあるし
例え理解できなかったとしても
理解しようと気持ちを向けてもらった時間が大事。
理解しきれなかったとしても、「君はそれでOKなんだよ。」
と伝えられ、そばに居続けてもらえたことが癒しになる。)
そしてその存在を見つけられたなら、きっとその子は
自分の生き方、人生を「自分で生きる力を得る。」
と私は思うのです。
HPブログ抜粋です。↑
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カウンセリング・奈良・生駒(九星気学)藤田侑杏恵
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カウンセリングを受けようと行動を起こすには