今日は、「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」10周年記念イベントの日です。

秩父では記念イベントが開催されます。

 

書いていたのですが、公開していなかった「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」の感想を10周年に公開させてもらいます。

 

「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」を見た。
妻と娘が面白いと勧めてくれたのだった。第3話位からストーリーの背景がわかってから、涙が止まらなくなった。

そして、思い出した。

自分も幼い頃に一緒に遊んでいた友達を失ったことをそしてそれを心の奥底にずっと隠していて思い出そうともしなかったことを。
やっと気づいたのだった。

涙が止まらなかった。

特に花火の打ち上げシーンが切なかった。

自分でもどうして涙が流れるかわからなかった。


全シリーズを見終わって風呂に入り、風呂から上がった時に気づいた。幼稚園の頃の近所の一番の友達が沸き立った風呂に入り全身火傷で生命を失ったことを。


彼はK君と言った。
K君は、私が生まれ小学校1年生まで過ごした長屋の近くに住んでいた。

幼い頃からずっと一緒に遊んでいた。お父さんは配管工をされていたと思う。K君の家の前にはたくさんの工事道具やパイプがたくさん置かれていたことを覚えている。

今でも覚えているのは、浩一郎君が入院したと母が私に告げた時だった。
母はなぜ入院したかを私には話さなかった。おそらく入院したときにもう助からないと言われていたのではないだろうか。
そして、病院にお見舞いに行った母が私に泣きながらK君のことを話してくれたと思ったことも明確に思い出せる。

K君の家はガソリンで風呂を沸かしており、寒かった日に風呂を沸かし過ぎ、そこにK君が飛び込み、全身に火傷してしまったのだ。母は全身包帯だらけになったK君のことを泣きながら話してくれた。

数日するとK君が亡くなった知らせが来たと思う。なぜ「思う」というと記憶がないからだ。

ただ、明確に覚えているのは、幼稚園の先生が葬式に来ていたことだ。

葬式はK君の自宅で行われた。K君の家の前には大勢の人が来ていた。そこに幼稚園の先生が来ており私に泣きながら話かけててくれた。何を言われたかは覚えていないが、その顔だけは覚えている。顔が真っ赤に腫れていたのだ。

 

私は泣きもしていなかった。


当時の若い私には死と言うものがわからなかった。

本当にK君はどっかに行ってしまった、もう会えなくなったんだなぁ、という事は理解できていたが、K君の存在自体がこの世からなくなったと言う事は理解できていなかった。だから涙も出なかったのであろう。
 

今でも覚えていることがある。それは雑誌「冒険王」の巻頭カラーページに「地獄の絵」が描かれていたことだ。同時に天国も描かれていた。近所の幼い友達とその家を見ながら、K君は天国に行ったのか地獄に行ったのかと言うことを話していた。Y君が「K君が天国に行ったらのならいいね」と言ったことも覚えている。子どもの頃の記憶がほとんどない私が覚えているということは、それだけ地獄の絵の印象が強かったのであろう。


私は異常に死ぬことが怖くてたまらない。死の恐怖が一生懸命に生きるモチベーションになっているとも言える。

正直、どうしてここまで死ぬことを恐れるのか、自分でもわからない。ただK君の死が幼い自分に与えた記憶が本当に大きいと「あの花」を見て思い出した。。


K君は少なくとも私の心の中に生きている。そして死を恐れて生きろ、自分の分も生きろ、と言っているかもしれない。