今の恋人と出会ったのは出会い系です。

今であれば

マッチングアプリというのでしょうね。

 

わたしはリュウさんと別れたばかりでした。

別の男性とお付き合いする気持ちは

ありませんでした。

あんな苦しい思いは二度としたくなかった。

そういえばわたしは既婚者でした。

 

 

わたしの喪失感はユキオさんとのメールが

途絶えたことからも起因していました。

リュウさんとの不安な関係のなか

ユキオさんとの平日昼間の一往復のメールは

わたしの心の支えでした。

 

他愛ないやりとりでした。

お互いに恋愛感情はありませんでした。

ユキオさんがお昼休みの数分

微笑みながらわたしのことを考えて

メールを送ってくれるということが

当時のわたしには救いでした。

わたしが本当の笑みを

浮かべられる時間でした。

 

本来は家族がその役割を

担うべきなのでしょうね。

わたしの家庭は

既にそのような場所ではありませんでした。

 

わたしはユキオさんのような

心を日常に繋ぎとめてくれるメール相手を

ほんの少し微笑みをくれる相手を

探していました。

 

 

いくつかのサイトを様子見し

いちばん穏やかそうなサイトに登録しました。

顔写真もつけず、年齢もそのまま載せました。

プロフィール欄には

「既婚。メールのみの友達を希望」と

書きました。

それでも、いやになるほど

メッセージが来ました。

 

わたしは一人称が「僕」よりも

「俺」の男性のほうが好ましく思えます。

そのサイトではわたしの嫌いな

絵文字のメッセージを送ってくる

一人称が僕の男性ばかりでした。

 

たったひとり、絵文字を使わず

一人称が俺の男性がいました。

わたしはプロフィール欄に

既婚と書きましたが

どうやらそのサイトでは

既婚、はNGワードだったようで

彼はわたしが独身だと思っていました。

 

彼が最初に自己紹介をしたとき

趣味が読書で

今読んでいるのが森絵都だと

書いてあったように思います。

その本はわたしも読んだばかりでした。

 

いくつかの作家名と作品の話の

やりとりをしたあとで

私は自分が

三人の子どもがいる既婚者であること、

お会いするつもりはないこと、

メールだけのやりとりを希望している旨

改めてメッセージを送りました。

 

彼からはメッセージが

伏字ばかりで読めないとの連絡が来ました。

わたしは出会い系のNGワードの存在を

知りませんでした。

 

今のマッチングアプリでは

どうなのでしょう。

その頃の出会い系では

メールアドレスの交換はサイト上では

できない仕様になっていたようです。

彼は「エヌ、オー、116、アット、…」

というメッセージで

メールアドレスを教えてくれました。

 

 

新しくフリーメールを取得して

彼のメールアドレスに連絡をしました。

自分が三人の子持ちの既婚者であること、

メールだけのお付き合いを

希望していることを伝えました。

 

彼は隣の市に住んでいるようでした。

わたしより5つ上の独身でした。

当時は株で生計を立てていました。

経済的にはあまり余裕はないようでした。

 

かつてユキオさんと交わしたような

メールのやりとりを彼と始めました。

一日一回のやりとり。

お昼休みの、微笑みを浮かべる時間。

やがて夜にメールが届くようになり

文面も長くなっていきました。

 

ある土曜日、彼からメールが届きました。

わたしが37歳になる

直前だったように思います。

 

「今、なにをしていますか」

わたしはマニキュアを塗っていました。

平日は仕事でマニキュアができないので

休日だけのマニキュアを。

そのまま、そう返信しました。

 

彼にはわたしの住所は伝えていませんでした。

本名も、仕事も。

同じ県内ということだけ彼は知っていました。

 

 

彼から、今から会えませんか、と

メールが返ってきました。

彼の名前と電話番号が記されていました。

いくつかの候補地があげられていました。

そのなかで彼とわたしの中間地点から

少し離れた場所をわたしは選びました。

 

 

これもオフ会なのかな。

そう思ったことを覚えています。

顔も声も知らない相手ですが

彼のことは好ましく思っていました。

 

 

喫茶店に入ってきた彼は背が高いひとでした。

穏やかな雰囲気の、優しそうなひとでした。

わたしは自分の名前も

明かしませんでした。

住所は乗ってきた車のナンバープレートで

彼にはわかったようでしたが

彼はなにも言いませんでした。

 

出会い系に登録した理由を

彼は教えてくれました。

あるサイトを見ていたら

その出会い系に登録したら

エロ動画のパスワードを

入手できるとの勧誘があったのだと。

 

 パスワード、もらえました?

 パスワード、もらえました。

 

わたしは笑い転げました。

よかったですね、と彼に言いました。

よかったです、本当に。

そう彼が答えたように思います。

あんなに笑ったのは久しぶりでした。

 

彼とは

トーレ・ヨハンソンとトーベ・ヤンソンが

似ていて間違えてしまう、

という話をしたように記憶しています。

音楽の趣味も共通の部分がありました。

 

彼はわたしの指を触りました。

驚いて身をこわばらせたわたしに

マニキュア、触りたかったから、と

彼は言いました。

 

次に会ったレストランでは

伊藤たかみの元奥さんは誰か、が

話題になりました。

彼は角田光代だと言いました。

わたしは森絵都だと思っていました。

その場でスマホで調べました。

彼の勝ちでした。

彼は、なにか賭ければよかったな、と

小さな声で言いました。

 

その次は近くの高台で景色を眺めました。

不意に彼に肩を抱かれて

わたしは震えていました。

彼は困ったようです。

わたしも困惑していました。

わたしは場数を踏んだ女のつもりでした。

 

 

あるとき、フリーメールではなく

自分の名前が入ったメールアドレスで

彼にメールを送ってしまいました。

 

あるとき、自分の仕事が新聞に載ったと

彼に自慢しました。

 

職場の周りの景色を写真にとって

彼に送りました。

 

彼はわたしの職場を特定して

仕事帰りのわたしを見つけたようでした。

 

ある日、彼と会ったときに

彼にそう告げられました。

 

ばれちゃった?そう笑うわたしに

見つけちゃった。そう彼は返しました。

 

 

そうして彼はわたしの恋人になりました。

37歳から45歳までは秘密の恋人として。

そのあとは、ただ、恋人として。

 

 

彼に指輪をねだったことがあります。

彼は私が既婚のあいだは

わたしに指輪をくれませんでした。

わたしは40歳の誕生日に

ピアスの穴をあけました。

それから彼は誕生日に

わたしにピアスを贈ってくれました。

 

離婚してから

彼はわたしに指輪をくれました。

 

22年間結婚指輪をはめていた左手の薬指は

指輪跡がついて少し肉が瘦せていました。

そこだけ肌の色がひどく白かった。

 

結婚指輪の跡が消えてから

わたしは彼に指輪をもらいました。

 

 

リュウさんがテキーラだとしたら

わたしの恋人はほうじ茶のようなひとです。

激しさも熱さもないけれど

温かくて身体に染み込む優しさがある。

彼といると安心する。

 

彼と結婚するかどうかいまでもわかりません。

 

でも、彼といるとわたしは

自分のことを好きでいられる。

わたしはようやく

安心できる場所を見つけました。