私の夫だった人は嘘をつかない人でした。

真面目で優しい人でした。

悪気のあるひとではありませんでした。

 

いちばん下の娘がまだひとりで

お風呂に入れないときのことでした。

夫が娘をお風呂に入れていました。

 

その頃、私は夫の夜の誘いを

拒むようになっていました。

一度それで口論になりました。

彼は言いました。

「離婚も考えている」

「俺、娘を風呂に入れるとき

 女性の肌が恋しくて

 娘の背中を触っているんだよ」

 

なんの悪意もない言葉でした。

離婚されたくないなら身体を差し出せ、

というつもりも

娘に手を出されたくないなら

俺の言うとおりにしろ、とも

彼は言うつもりはありませんでした。

彼にそのような気持ちがないことは

わかっていました。

彼はただ、自分のつらさをそのように

表現しただけでした。

自分がつらいということを悪意なしに

私に伝えただけでした。

 

私はその日から

娘と一緒にお風呂に入るようになりました。

 

 

 

離婚の話し合いをしていた頃のことです。

帰宅直後の彼が

「小夜子に悪いことをした。ごめんね」

と言ってきました。

彼は職場で自分の離婚と

それに伴う金銭条件について

同僚に話したようでした。

それで、その場にいた同僚が

「それは奥さんがひどい。」

と口々に言ったと。

 

私は「一生会わない人に何を言われても平気」

と返しました。

いまさら、何を言うのも面倒でした。

彼は、同僚の言葉を私に伝えることが

誠実さだと思ったのでしょう。

同僚の言葉を私に伝えて

謝ることが正しさだと思ったのでしょう。

 

住宅ローンの繰り上げ費用の大半は

私が出したことは

彼は同僚に話したのでしょうか。

子どもたちの学費は

すべて私が用意していたことも

きっと彼は忘れていたのでしょう。

 

 

婚姻期間中の私の恋を

夫は知らないままでした。

夫は私の外側しか見ようとしませんでした。

内側を見るのがこわかったのか、

そのようなものがあるとは

気がつかなかったのか。

 

二度の婚外恋愛が発覚したときに備えて

私はお金を用意していました。

自分でしたことの始末は

自分でつけられるように。

 

結局、発覚はしなかったので

財産分与はその分

私に不利な条件で離婚を切り出しました。

彼と別れるためなら、もうそれでよかった。

 

 

離婚後、息子が長期に渡り

経過観察が必要な病気になったとき

私に何かあったときのために

彼に息子の病状を連絡しました。

 

「その話を聞いてとてもショックだった。

このメールを週末にくれたことに感謝します。

平日だったらとても無理だった」

との返事がありました。

息子の体調を気遣う言葉はありませんでした。

 

 

 

私の夫だったひとはとてもいいひとでした。

とても弱くて脆いひとでした。

悪意のないひとでした。