わたしは夫に対して罪悪感を覚えることが
最後までありませんでした。
どうしてなのか自分でもわかりません。
わたしは自分のことを常識的な人間だと
それまで思っていました。
少し融通のきかないくらい
倫理観のある人間だと、
貞淑な奥さんだと思っていました。
リュウさんが私のことを淫乱だと言ったのは
そのようなところを
見抜いていたのかもしれません。
リュウさんがわたしに触れなければ
きっとわたしは貞淑なまま
苦しんでいたのでしょう。
パンドラの箱を開けたのは彼でした。
わたしは罪悪感を覚える代わりに
細心の注意を払いました。
彼との通話履歴は常に消しました。
華奢な下着はクローゼットの奥に隠しました。
彼と会った後は帰りのターミナル駅で
別の土地のお土産を買いました。
夫は気づくことはありませんでした。
そのあとの恋人のことも。
気づいてほしいわけではありませんでした。
夫に気づかれるのはただ単に面倒でした。
わたしの恋に気づいた夫は
病状が悪化するでしょう。
保育園と小学生に通う3人の子どもがいて
病状が悪化した夫の看護をするのも
離婚をするのも面倒でした。
近くに頼れる実家があれば
実家が夫の事情を知っていれば
もっと早く離婚を考えたのかもしれません。
そのときはまだ私と夫は
子どもを育てるための共同体でした。
わたしは夫が発病してから
10年間はとてもいい奥さんでした。
過度に献身的に尽くしてきました。
たったひとりで黙っていました。
だからわたしは
これから10年はなにをしてもいいと
なにをしても許されると
自分で考えていました。
あの苦しい10年間は取り返せないから
その代わりに10年はなにをしてもいい、と。
私は身体だけこの家にいればいいのだと。
私の外側が妻と母親をしていれば
そうすれば誰も気づかないのだと。
リュウさんと別れたあと
わたしには恋人ができました。
そのひとはわたしに安心をくれました。
会うたびに
好きだ、綺麗だ、会いたかったと
言ってくれました。
リュウさんは最後までわたしに
好きだとは言ってくれませんでした。
わたしはリュウさんの部屋に行くときも
今の恋人と会うときも
結婚指輪は外しませんでした。
結婚指輪はわたしに課せられたものだと
理解していました。
指輪を外して恋人に会うのは
わたしにとっては偽りでした。
わたしが離婚に踏み切ったのは
「好きにしていい10年」が
終わりそうになったからです。
自分のなかの取り決めでしたが
好きにしていい10年が終わったら
夫の元に戻らないといけない、
そうしないと罰が下される。
その前にこの家から逃げないと。
そんなことを考えていました。
わたしは23歳で結婚しました。
46歳になってもこの家にいたら
それまでの人生よりも
夫といる人生の方が長くなってしまう。
それにも耐えられませんでした。
自分で決めたタイムリミットから逃げるために
わたしは子どもを連れて45歳で家を出ました。
タイムリミットにはぎりぎり間に合いました。