夫の休職中のことです。

夫のカウンセリングに同席しました。

カウンセラーの先生の意向とのことでした。

 

カウンセラーは私に言いました。

 

 ご主人は、もう少し奥さんに

 構ってもらいたいとお思いのようですよ。

 もっといろいろな、

 職場の話なども全然聞いていないので

 会話を増やしてほしいとも

 言っていましたよ。

 

私はその場でなにも言えずに

俯いて黙り込んでいました。

 

帰宅後に夫は言いました。

「君は随分緊張していたね。

カウンセラーの先生の前だと

慣れていないと話せないよね。」

 

 

そうではありませんでした。

私は怒りで声が出なかっただけでした。

怒りを爆発させることもできずに

飲み込んだけでした。

 

私はカウンセラーの先生に言いたかった。

 

フルタイムで仕事をしていて

近くに実家もなく頼れる人もいない。

夫の病気のことは

誰にも話すなと言われている。

外部からの助けが望めないなか

小さな子どもを育てて

病気の夫の面倒を見ているのに

夫の母親代わりをしているのに

そんな生活で

さらに夫に女の役割を求められることは

私にはもうできない。

 

そう言いたかった。

 

カウンセラーの先生は患者は助けるけれど

患者の妻は助けてくれないんだと思いました。

 

結婚したばかりの23歳の頃

こんなことも言われたことも思い出しました。

 

「君が職場のつらいことを話していると

小夜子のことがかわいそうでかわいそうで

聞いていて俺がつらくなっちゃうんだよ。

だからそういうことは話して欲しくない。」

 

私が夫に職場の話をしなくなったのは

そのときからです。

 

 

夫は自分の母親とは

あまり関係が良くありませんでした。

なにがあったというのではなく

ただ、夫が自分の母親を嫌っていた、

というのが近いかもしれません。

私にとって姑にあたるその人は

優しくて家族思いの方でした。

 

夫は、鬱病になってから

私にすがるように生きていました。

「小夜子がいないと俺はダメだからな。」

と言われるのが苦痛でした。

「小夜子さん、頼みますよ」

となにかと言われるのが嫌でした。

 

夫は私に母親を求めていました。

いつも笑っていて、自分を全肯定してくれる

何があっても愛してくれる母親。

 

あるとき、彼に言われました。

「君に疲れた顔をされるのはつらいから

いつもにこにこ笑っていてほしい。」

 

結婚したばかりの時に言われたら

嬉しかったのかもしれない。

でもこの時は

自分を否定されたように感じました。

 

私の苦しさも、つらさも、怒りも

夫にとっては「不愉快なこと」で

私はいつもにこにこ笑っていることを

求められている。

私の感情の揺れは、この人にとっては

迷惑なものなのだ。

 

夫は好きなだけ家族の前で

苦しむことができるのに。

あんなに家族に見せびらかすように

苦しんでいるのに。

 

私が体調が悪かったり疲れていると

夫はいつも言いました。

「なんでそんなに機嫌が悪いの。

ちゃんと理由を言って。」

疲れているの、と言っても

納得してもらえませんでした。

 

夫が求めているのは

いつも機嫌がよくて

体調も悪くならず、無限に家事をして

子どもたちの母親もきちんとして

そして傷ついた夫を守る母親役でした。

それから、恋人としての妻も。

 

 

そうして支えるのが夫婦だ、と

思っていた時期もありましたが

それはただの共依存でした。

自分をごまかして

過度な献身を正当化していただけでした。

限界がやがて来ました。

 

どうして彼だけが

思う存分傷ついたり苦しんだりできて

どうして私はいつも支える側なんだろう。

そう思っていました。

私も病気になれば

つらいとか苦しいとか言っていいのかな。

そう思うようになりました。

 

でもそうしたら子どもたちがどうなるのか。

それだけが心配でした。

夫婦共倒れだけは避けなくてはいけない。

私が子どもを守らなくては。

その気持ちだけで身体は動いていました。

 

 

やがて、その身体が動かなくなりました。

私は体重が減り、夜眠れなくなってきました。

私は34歳になっていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ときめきが続く、お花の定期便bloomee(ブルーミー)