夫が鬱を発症したのは私が26歳の時でした。

長男は1歳になったばかりでした。

 

夫はその後2回休職し、転職しました。

長男は次男とは5歳違いです。

もう少し早く2人目は欲しかったのだけれど

夫の体調がそれを許しませんでした。

 

体調が比較的落ち着いた時期もありました。

長女も生まれました。

郊外に家も建てました。

 

 

家を建てる時です。

住宅ローンの団信の審査に夫が出かけました。

帰宅した夫は言いました。

 

「審査で健康状態を聞かれたとき、

俺、嘘は言いたくなかったから、

鬱病のこと話したんだよ。」

 

夫は正直な自分を肯定してもらいたい、

という顔をしていました。

 

事前に住宅メーカーの営業の方から

鬱病は審査の際に言わない方がいいこと、

契約から2年経てば影響はない旨は

聞いていました。

 

審査は通りませんでした。

 

私はあの時

「そうね」としか言えませんでした。

団信のローンに通らないと言うことは

夫にもし何かがあったとき

残ったローンを全額支払うのは

子どもを抱えた私になるという

言葉は飲み込みました。

 

夫がそのことに思い至っていなかったのは

わかっていました。

もしその言葉を言ってしまったら

夫は自分のしたことに深く傷ついて

自分自身をひどく責めるのが

わかっていたから。

夫がそうなると面倒だったから。

 

ひどく落ち込んだ夫と一緒にいるのは

「面倒」になっていました。

 

 

ある時です。

私は大事な会議の前でした。

私の携帯に夫から電話がかかってきました。

「今、研究所の前まで来たんだけど、

どうしてもなかに入れないんだよ」

そういう夫に

今日は休むよう職場に連絡を入れるよう伝えて

何事もなかったように私は会議に入りました。

 

そんなことの繰り返しでした。

良くなったり悪くなったり。

 

悪くなると夫は押し黙り

食事の際も暗い顔で言葉を発せず

ずっとベッドの中にいました。

子ども達が騒ぐと不機嫌になり

イライラして怒鳴ることもありました。

 

私は

「お父さんは疲れていて今日も閉店してるから

お母さんとお出かけしようか。」

と子どもを3人連れて

近所の公園に出かけました。

走り回る長男と次男を見ながら

長女を抱っこして

家に帰るのが嫌だな、

とぼんやりベンチに座って考えていました。

 

助けてほしいと思いました。

誰に助けを求めればいいのか

わかりませんでした。

あのときの私を助けてくれる人がいたのか

今でもわかりません。

 

 

私は通勤に車を使っていました。

仕事帰りに

学童と保育園に子ども達を迎えに行って

少しでも早く家に帰って食事の支度をして

子どもたちの汚れ物を洗って

学校の支度を見てやって

しなければいけないことが山のようにあるのに

家に帰りたくない時がありました。

 

 

3人の子どもを乗せて、家ではなく

家の近所の山頂にある駐車場に行きました。

駐車場からは、街の灯りがよく見えました。

そこに車を止めて

しばらくそこでぼんやりしていました。

 

 

もう一箇所、よく行くところがありました。

頂上の少し下にある記念館の駐車場です。

そこは街の灯りも見えず

誰もいませんでした。

駐車場の裏手は崖になっていました。

 

このままアクセルを踏めば楽になれるのかな。

暗い駐車場の端に車を停めて

そんなことを考えました。

子ども達がおなかがすいた、と騒ぎ出すまで。

 

 

「おうちに帰って、ご飯食べようか」

そう言って私は

家の方角にアクセルを踏みました。

 

私は35歳になっていました。

 



ときめきが続く、お花の定期便bloomee(ブルーミー)