あなたのおうちはほんとに理想的ね、と

何度も言われました。

肯定も否定もせず曖昧な笑顔で

話題を変えるようにしていました。

 

 

 

長男が1歳になる頃のことです。

私は26歳でした。

夫の様子がおかしくなりました。

 

ひどく疲れているようでした。

口数も少なく、夜も眠れないようでした。

もともと痩せ気味でしたが

さらに体重も減っているようでした。

直属の上司がひどく横暴でつらいのだと

ぽつりぽつりと話しました。

 

体調が悪いと仕事を休むことが増えました。

少し休めば治るからと夫は言っていましたが

休んだ次の日の朝はもっとつらそうでした。

 

私は評判のいい心療内科を調べ

嫌がる夫を心療内科に連れて行きました。

 

診断結果は鬱病でした。

3ヶ月休職することになりました。

 

夫は最初、自分が精神的な病なのだと

認めたくないようでした。

一方で、仕事から一時的にせよ

離れられることに安堵しているようでした。

心療内科で処方された薬を服用して

最初の1週間、夫は眠り続けました。

 

私は育児休暇があけて

職場復帰をしたばかりでした。

私は朝、長男を保育園に連れて行き

何事もなかったように仕事をしました。

仕事が終わったら

保育園に長男を迎えに行き

帰宅すると長男をおぶって家事をしました。

長男がぐずると夫は不機嫌になりました。

 

 

鬱病と診断されたこと、仕事を休職することは

双方の実家にも私の職場にも

誰にも話さないでくれ、と

夫に懇願されていました。

 

自分がこんなことになっているとは

誰にも知られたくないのだと彼は言いました。

私はそれを受け入れました。

この病気を家庭内で抱え込むことのつらさを

26歳の私は知りませんでした。

 

 

だんだんと夫の体調は

良くなっているように見えました。

けれど不意に不安や焦燥感に駆られることも

あるようでした。

職場復帰の際に

配慮していただける話は聞いていましたが

それでも不安があるようでした。

 

 

あるとき夫はこう言いました。

「今の職場には戻りたくない。

新しい仕事を君が探してくれないか。

できるだけ人と関わらないで済むような

リサイクルの家具を直す仕事とか、

壊れたおもちゃを直す仕事とかさ。」

 

夫は理系の大学を出た研究職でした。

冗談ではなく、真顔で私にそう懇願しました。

そのような仕事は

通常は定年退職後の技術者の方が

ボランティアでしているものです。

私は何も言えませんでした。

 

 

 

 

毎朝、私達はペアのマグカップで

コーヒーを飲んでいました。

それは私の姉が結婚祝いにくれたものでした。

 

あるとき夫は

「俺がこんな病気になったのはお前のせいだ」

そう叫んでマグカップをひとつ

床に叩きつけました。

 

 

私は片方になったマグカップを

食器棚にしまいました。

夫はある日、そのマグカップを出すと

そのマグカップで朝のコーヒーを飲みました。

夫はもう片方のマグカップのことを

なにも覚えていませんでした。

 

 

私が家を出る日まで

彼はそのマグカップで

コーヒーを飲んでいました。




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