真珠湾攻撃と山本五十六

 

 今から79年前の昭和16年12月8日、日本は、アメリカとイギリスに宣戦布告、日本海軍連合艦隊は、ハワイ真珠湾のアメリカ太平洋艦隊基地を奇襲攻撃、太平洋戦争がはじまりました。山本五十六連合艦隊司令長官が真珠湾攻撃を立案したといわれています。

日本は、日露戦争、日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を打ち破り、戦艦対戦艦の艦隊決戦こそが本流という考えが強かったが、山本五十六は早くから航空機による攻撃を重視し、真珠湾攻撃では航空機による攻撃により戦艦5隻撃沈などの「戦果」を挙げました。

世界一の戦艦大和が就役したのは皮肉にも戦艦が航空機に敗れたこの時期でした。7か月後、ミッドウエー海戦で、日米の空母対空母の決戦。日本は空母4隻が沈没、大敗北によって、戦況は次第に不利になってゆきました。

山本五十六は、アメリカに留学した経験もあり、アメリカの国力を熟知していて対米戦争は反対だったといわれています。近衛文麿首相に対米戦争の見込みを聞かれ「それは是非やれと言われれば初め半年や1年の間は随分暴れてご覧に入れる。然しながら、2年3年となれば全く確信は持てぬ。・・・・」と答え、その通りになりました。

ところで、日本学術会議会員の任命を菅首相に「拒否された」東京大学の加藤陽子教授の著書「それでも、日本人は戦争を選んだ」は、近代史を経済的、地政学的にわかりやすく縦横無尽に展開されています。「そもそも日本は、資源がなく外国からの輸入に依存している、外国が日本製品を輸入できなくても困ることはない。だから日本が戦争できる国ではない。」という軍人水野廣徳の考え方も紹介されています。

日本は、二度と戦争をしないと誓い平和憲法のもとで戦後を歩んできました。立憲主義のもとで自由と民主主義を大切にしなければなりません。桜を観る会前夜祭、日本学術会議会員任命拒否、森友学園虚偽答弁等々、一国の首相が国会でウソをつく、気に入らぬ人(事)は排除する昨今の状況は危険な事態です。戦前の軍国主義に逆戻りすることなく、自由で平和な社会を築くために政治の流れを転換するために力を合わせましょう。