ウェストミンスター小教理問答 問23 | 日本人とキリスト教

日本人とキリスト教

■ウェストミンスター小教理問答書を中心として

問23 キリストは、私たちのあがない主としてどのような職務を果されるか。

 

答 キリストは、私たちのあがない主として、その低い状態においても、高い状態においても、ともに予言者と祭司と王の職務を果される。

 

 人間は必ず何かに仕えて生きているものである。更に言うならば、我々は必ず何かの奴隷になっている。色々なことがこのことについて言えるであろう。しかし、キリスト教的に言うならば、人は必ず、神の奴隷か、罪の奴隷か、のいずれかである。この罪の奴隷の状態から人を贖う為に神は人となったのであった。この贖い主が、キリストである。神の奴隷とされることが、神の子とされることである。そしてこの祝福はただ人間個人にとどまらない。「被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。なぜなら、被造物が虚無に服従させたかたによるのであり、かつ、被造物自身にも、滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されているからである。また、被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けていることを、わたしたちは知っている。」(ローマ8:19~22)即ち、被造物全体に祝福が及ぶのである。この時初めて本当の意味で、人間に祝福が及ぶ。何故なら、全被造物は本来、人間の為に、人間が統治する為に在るものだからである。この究極的祝福はキリストが再び、来られる時に実現する。この祝福に入れられるものは、神の子としての資格を持っているものに限る。罪の奴隷のままでいるものは、永遠の滅亡に陥ってしまう。そのように裁かれるのである。神の国には罪は相応しくないのである。神は審判者であって最後の時までも悔い改めないでいる者をも赦すヒューマニストではないのである。