☆彡 まもなく「終戦記念日」…日章旗(再掲載)
●再掲載の記事です
先の大戦で亡くなられた約310万人の御霊に
哀悼の誠を捧げます
富士山は精神浄化の山だ…と言ってた~私の亡父
誰よりも富士を愛し
あの世まで富岳を連れてった父だった
富岳院○○○○○○
今ある平和の尊さを嚙みしめよう…
いつの日にも~そびえる唯一無二の富士の山
すっかり 国旗の
日章旗を掲げた光景を見かけなくなりましたね
亡父が生きていた30数年前までは実家では、
運よく生き延びて、奇跡的に没収から逃れて戦地・パラオから持ち帰った
父の~このような出陣寄せ書きの日の丸を
庭先で祝祭日には必ず掲げていた
※ 写真は1964年秋…東京オリンピック開会式当日の晴れ渡った朝に
日章旗が富士山に映えた
● 戦地に出兵した兵士の出陣寄せ書き
(画像は借り物)
● 私の亡父について
● 徴兵検査の記念写真
●家族と本家の人たちに囲まれて…出兵記念写真
(父のすぐ後ろは母、八人の子供を育て上げた~強くもあり、逞しい、そして
おおらかな母だった。戦後生まれなので ここには私はいない)
●だれもが死を覚悟して戦った戦争…
●多くの戦死者を出した戦争の最中に綴った日記である
●終戦によって、帰還が決まった際に日記には~こう書いてある
昭和20年12月24日 復員
午前10時解散 パラオ軍人軍属3500名
忘れられない記念の日
本日で最後 海軍生活終了
● 昭和24年7月3日撮影 メモには、45歳…思い出を偲ぶ とあった
(私が2歳半の時)
亡父は復員して近くのホテルでボイラーマンとして働くかたわら
富士山の登山ガイドとしても活躍した
● 34年7月25日
米国海兵隊49人を富士登山ガイドとして山頂に導く
撮影場所 山梨県・富士山五合目の五合園レストハウス前
☆ 2015年4月9日 両陛下・慰霊の旅~パラオ
天皇皇后両陛下…慰霊碑に白菊を捧げる
遠い南の島パラオで散った命を慰霊する旅
天皇にとって二十年来の悲願だつたと言う。。。
●亡父が出兵した場所はペリリユー島の近くだったと言っていた
父が死を覚悟して戦った激戦地…
いつかは、この異国の地パラオを訪ねてみたいとの
私の願望の思いもとうとう叶わなかった
(TBSテレビ ひるトークから)
(テレビ朝日ワイド!スクランブルから)
☆ 慰霊碑に白菊を捧げる両陛下…2015年4月9日
(NHKテレビから)
今ある平和の尊さを嚙みしめよう…
いつも見て頂きまして…
ありがとうございますღღ´ェ`*)
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by:fujisanpostman