(-_-)足和田災害から56年…西湖いやしの里・根場
☆リメイク記事
● 画像が消えてしまったので、復元したので再アップです
1966年9月25日、豪雨による土石流で足和田村
(現富士河口湖町)の住民94人が犠牲となった
「足和田災害」から56年となる
自然災害の恐ろしさを けして忘れてはならない
これは
五年前の2017年1月に一度UPしたリメイク記事です
●日本のふるさと、日本の原風景ともいうべきのどかな農村風景が広がる
「西湖いやしの里根場」の緑の季節の様子を撮影しました。
富士山を背に、茅葺民家が20棟ほど連なっています
新聞の、歴史欄を見て歳月の流れの速さにビックリした
早々に過去の約8000コある記事からこれを見つけ出した
★台風26号が芦川沿い北東に進んだ。足和田村(現富士河口湖町)の根場、
西湖地区が土石流に襲われ94人が死亡・行方不明。県全体で175人犠牲に
(1966年=昭和41年)
https://www.cbr.mlit.go.jp/fujisabo/oshirase/fujiazami/fujiazami_55/fa55-2.html
西湖のほとり…昔懐かしい茅葺屋根が連なる
いやしの里・根場を訪ねてみました
2017年1月21日の撮影です
ホームページ
●今は 観光客で賑わう平和なこの地も
思い起こせば~
忘れられない、とても悲しい出来事が過去にありました…
● この地の唄~お聞きください
西湖の里・根場
http://www.yamanashinouta.com/saikonosatonenba.html
www.yamanashinouta.com/music/a200.mp3
西湖慕情
http://www.yamanashinouta.com/saikobojou.html
www.yamanashinouta.com/music/a056.MP3
●茅葺屋根が連なる…在りし日の根場部落
なんと 災害に遭う1週間前に
のこのこと 一人でカブバイクに乗りカメラ持参でこの地を訪れていたのだった
(紙焼き写真見当たらず~白黒ネガあるはずですが?どこへやら)
ありし日の古い写真が載っています
https://www.mmdb.net/usr/digiken/Yamanashi-Album/page/A0005.html
● 昭和41年9月25日未明 台風の豪雨で発生した土石流は
この西湖の畔の根場部落と共に西湖部落を襲い
多くの人命(死者と行方明者94名)を奪った
大変な事がおこった…翌日朝に友とトラックの荷台に乗せてもらい駆けつけると
眼の前に唖然とする光景が広がっていた…。
不意に~私に、カメラを貸してもらえませんか?
駆け付けた朝日新聞社の記者~商売道具の写真機が故障し困っていたのだ
後でお礼に届いた冊子「写真の撮り方」は捨てられずに今も残っている
● 私が社会人になって一年目の秋だった
あの悪夢から53年の歳月が経ってしまった~今、感無量でこの地に立つ
移住先の根場民宿村に建つ慰霊碑
町の地域創生事業で、
茅葺屋根が連なる往時の懐かしい姿が甦った
● 懐かしい とうもろこし干し
昔は、コメが採れない富士の北麓地域では
各家庭では平たくて円形の団子にした「もろこし団子」を、主食の「ほうとう」と
一緒に食べたものです
※ 来る日も来る日も~毎日よく飽きずに食べたものだあ
富士は何時の世も雄大に聳えて見つめている
● 昨年の秋には
災害復旧50周年の碑が建てられた
● 地域の人々は、けして消えることない過去を胸に秘め
強く したたかに故郷で生きている
● 砂防資料館には、パネルとビデオの災害資料などで
当時の様子が紹介されている
自衛隊や近隣の消防団員が被災者の救援や行方不明者の捜査にあたったが、結局十三名の
行方不明者を見つけることは出来なかった
また近隣の青年団・婦人会なども集まり救援活動に参加された
当時…西湖の水に頼っていた河口湖南岸地区(船津・小立・勝山)の上水道も
濾過池施設が災害に遭い、一カ月間も不便を虐げられた
(消防水槽の水を各家庭では沸かして生活用水とした)
後に、天皇陛下も巡幸で当地を訪れて
🌼
西湖地区の慰霊碑に🌼花をたむけられた
帰り際に見上げる…枝垂れ桜の木
厳しい冬をのり切れば やがて嬉しいサクラ咲く季節だ~
長々と最後までお付き合いありがとうございました
コロナが治まったなら、
あなたも是非訪れてみて下さい
いつも お時間割いて~
お立ち寄り誠にありがとうございます
ご訪問に感謝です
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