
● 亡父について

● 徴兵検査の記念写真

●家族と本家の人たちに囲まれて
(父のすぐ後ろは母、八人の子供を育て上げた~強くもあり、逞しい、そして
おおらかな母だった。戦後生まれなので私はいない)

●だれもが死を覚悟して戦った戦争…


●多くの戦死者を出した戦争の最中に綴った日記である

●終戦によって、帰還が決まった際に日記には~こう書いてある
昭和20年12月24日 復員
午前10時解散 パラオ軍人軍属3500名
忘れられない記念の日
本日で最後 海軍生活終了

2001/06/26 テレビ放映
山梨放送…一億人の富士山「第11回・富士と共に歩んだ強力」から
☆両陛下パラオ訪問へ…来春
東京から南へ三千キロ~
親日国家の南国の楽園…大小の島が点在するパラオ共和国
今ではマリンブルーの海でダイビングのメッカとして有名です
ここも悲惨な太平洋戦争の激戦地でした…
私の亡父は、このパラオの南海の地で生死をさまよい
幸い~運よく生き延びて、痩せ干せた身体で帰ってきたという
戦後70年経っても
両陛下の戦没者慰霊の旅は続きます…。
ご覧頂きましてありがとうございます
♪ご訪問に感謝です
… 富士北麓から毎日発信


… Mt.Fuji 富士山便り…
