出雲王国の伝承 ヤマト建国と出雲族の関係 | 「宇宙の叡智 幸せの道しるべ」

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こんにちは

True Storyです。ニコニコ

 

 

今日はヤマト建国と

出雲族の関係を紹介

したいと思います。

 

 

◾️出雲大王家のヤマト進出

 

徐福の家臣に殺められた

第8代少名彦 事代主には

活玉依姫(イクタマヨリヒメ)

という奥方がいました。

 

 

活玉依姫は摂津(大阪府)の

豪族三島家のお姫様であり

事代主亡きあとは子供達と共に

実家の摂津に戻られました

 

 

その子供は

クシヒタカ(奇日向)

タタラ五十鈴姫

五十鈴依姫

 

 

その後、息子のクシヒタカ(奇日向)は

ヤマトに移住を決めます。

 

 
当時ヤマトの中央は沼地で
あったため居住には適さず
葛城市付近に住んだそうです。
 
 
またその際、出雲からも
多くの人を呼び(全体の半数)
神門臣家の人もヤマトへ
移住した人がいました。
 
 
 
◾️海部家のヤマト進出
 
京丹波に移動した後
海辺家は五十猛の長男村雲が継ぎ
彼もヤマトへの移住を決めます
 
 
琵琶湖を渡り、彼らも葛城
周辺に住み始めました。
 
 
またそれに伴い秦氏も
多く移住しました。
 
 
 
◾️海部家と出雲王家の婚姻
 
海部家の五十猛の奥方は
神門臣家の大屋姫であり
海部家と出雲家は親戚関係でした。
 
 
また海部家は出雲王家を
尊敬してたので
クシヒタカは妹のタタラ五十鈴姫の
お婿さんに、村雲を迎えます。
 
 
 
そして村雲は葛城王家の
第一代大王となります
 
 
 
この時、出雲王家から
お祝いに「叢雲の劔」が
送られたそうです
 
 
ヤマトでは出雲族と
村雲と共にきた秦族は
協力しながら暮らしたそうです。
 
 
また葛城王家はその後3代に渡り
出雲大王家からお姫様をもらいます
 
 
第二代大王 五十鈴依姫
第三代大王 淳名底姫
 
 
 
 
◇簡単解説◇
 
 
ヤマトに移住した出雲王家
・クシヒタカ(富家 事代主と玉依比売の息子)
・タタラ五十鈴姫(富家 事代主と玉依比売の娘)
・多岐都彦(神門臣家 八千矛大王の孫)
 
 
ヤマトに移住した海部家
・村雲(五十猛の息子)
・タカクラジ(五十猛の息子 後々紀伊国造)
 
 
出雲族と海部家の婚姻(葛城王国)
・村雲とタタラ五十鈴姫
 
 
 
 
今回紹介した内容は
こちらの本からになります。
 
 

 

 

 

出雲大王家の富家に伝わる
口伝ですが
風土記や古文書、各地の古墳 
発掘された銅らんなど
残っているものと照合しながら
書かれています
 
 
この文献には 多くの人に
関係あるであろう
出雲王国の末裔が造った国々
ヤマト、京都、岡山(吉備)
信濃、大阪、名古屋(尾張)
静岡、北関東、東北まで
出てくるので
ぜひ読んで頂きたい本です
 
 
本屋さんにはないので
出版社からの取り寄せが
良いかと思いますニコニコ
 
 
 
 
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