「終着駅大垣市」
やっと岐阜の大垣に着いたど。
しかしなぜ大垣なのか。
なぜ旅をしたのか。
グーグルの力を借り調べてみました。
1、なぜ旅したのか。
芭蕉が晩年盛んに旅をした理由は、
隠遁者の行脚修行を目指したほかに、
歌枕など古典文学に出てくる名所・旧跡を実際に見たいという願望や
能因・西折・宗紙など先人たちの足跡を慕う心に求める事が出来る。
また芭蕉風の俳句を広げようとする意図もあったと思う。
2、どんなイメージ
風雅を求めて漂白に生きた俳諧師
3,どのくらいの旅だったの。
元禄2年(1689年)の秋に芭蕉が
「蛤の ふたみにわかれ 行く秋ぞ」とよんで、
水門川の舟町から桑名へ船で下り、約5カ月の
「奥の細道」の旅を終えている。
4、大垣にある記念館は?
「大垣市奥の細道結びの地記念館」
5,奥の細道で伝えたいことは?
奥の細道の中で、何を伝えようとしたかというとその意図は、
「月日は百代の過客にして行き交ふ年もまた旅人なり。」
といという有名な頭文に集約される。
現代の言葉で解釈すると
「月日は永遠の旅人であり、やってきて、
過ぎ去っていく年も旅人である。」
6、ゴールはどこですか。
徳川幕府が栄華を極めた元禄時代。
芭蕉は江戸の深川を旅立ち、
約5カ月かけて全行程2400㎞を旅しました。
そのゴールが大垣市。
(グーグルで調べて。)
以上調べてすっきりしたところが多くありました。
すごい旅でしたね。また俳句を勉強している人が多く
大垣市にいたということは最終地に選んだわけだったんですね。
自分はは追っかけて場所的なものしかわからなかったので、
調べてよかったです。大垣に着く前は余り気にしませんでした。
けれどゴールして初めて何かですが、寂しさを感じました。
旅の目的が少し似ていて面白かった。
お疲れさまでした。