「中山道」

最初は、江戸時代の人はどんな道を通って生きてきたのか。

追体験なんて、考えずにはじめは「なかやま道」なんて読んでいたのです。

冬休みに入り、自転車で中山道の旅行を計画しました。

後戻りを考えずに、前へ前へ進むことを考えました。

 

 

日本橋から、裏街道のなかせんどうへ。

埼玉をぬけ高崎へ。生まれて初めて

雪が降っているところと晴れているところの

境をみて、感激し、ヘアピンカーブが

50くらいある坂道を足を突かず、頑張って登り切ります。

冬なので、日暮れが早く、あっという間に

雪が20cmくらい積もった国道を引き引き前に進みます。

するとどこからともなく猿の鳴き声や、

野犬か狼の遠吠えが、聞こえてくるではありませんか。

 

 

あたりは真っ暗。

輪達と雪明りを頼りに前に前に進みます。

やがて軽井沢の旧国鉄の駅舎が見えてきました。

わからない中で明かりを見ると命が救われた印象です。

(明かりが有難く涙が・・・・・)

 

軽井沢は明るかった。民宿の看板を目当てに飛び込みです。

 

翌朝、氷の張った道路をブレークをかけずに、

素敵な別荘と白樺林を縫うように、

まるで銀幕のスターになったように自転車は進みます。

朝日がまぶしい。

 

 

あおきこという看板が出てきました。

昔スキーのバスツアーで若者を乗せたバスが事故を起こし

尊い命が失われた場所です。

 

しかし、しかし湖の水は見えません。

道路に近いのか、遠いのか、わかりません。

なぜだと思いますか。

それはあたり一面雪で覆われて湖が雪でわからないんです。

「怖い怖い」

湖に入っておぼれたりしたら、

誰も助けてくれません。

くわばらくわばら。

 

 

前に進むと、妻籠、馬籠という宿場町を通ります。

昔はこんな旅籠に泊まっていたんだな。

その近くの民宿に宿を取りました。

おかみさんが出てきて、

すぐお風呂の用意をしてくれました。

 

雪まみれで冷え切った体のために

用意をしてくれました。

「ありがたい話だな」

冷え切った体がポカポカして、

温かい食事へとつながります。

 

 

いろいろ話をしていました。

するとおかみさんがぽつりと言いました。

「なんでこんなところにお嫁きちゃったのかな。」

 

夏はお客さんは多く、冬は・・・・・。

生活が自然との闘い。

燃料費はかかるし、交通の便も悪いし‥‥

その言葉に返す言葉が見つかりませんでした。

 

前に進むと山また山。

全部が雪深いわけではありませんが

中山道は5つの峠越えをしました。

それは雪深くタイヤや、チェーン、スポークにくっついて離れません。

だから自転車を持ち上げて下に落とすんです。

6,7回やると大体の雪は落ちます。

岐阜、滋賀に近づき交通量が多くなります。

 

 

雪を避け、車をよけて関ヶ原を超えて京都府に近づきます。

京都の街灯りが視界に入ると、

自然と涙がこみ上げて止まりません。

30分以上その場で灯りを見て泣いていました。

私が20歳の時、映画の寅さんを見ていて

自然と涙が出て止まりませんでした。

なぜだかは今もわかりません。

 

京都の街は滑るように進みます。

しかしどこまで行ったら終点かはわかりませんでした。

勝手に二条城と決めていました。

 

 

冬の中山道、旅行をするものじゃないな。

でも江戸時代隠密や怪しい人は、

東海道を使わずに中山道だという。

雪、小売り、雨、等天候に関係して旅行は少なかったでしょう。

旅籠の人は雪が降らないときに

いかに多くの客を取って冬に備えていた事でしょう。