シベリア鉄道に乗って
ハバロフスク・ウラン=ウデ・モスクワまでの感想
・シベリアの風を感じて
・①ハバロフスクの日本人墓地にたどり着けなく、
墓参りができなかったことは残念です。
②ソ連抑留の日本の兵隊さんが、シベリアでたくさん亡くなりました。
極寒というイメージがあったのですが、夏は暑いということがわかりました。
その温度差、食べ物、抑留の環境や重労働があったのでしょう。
夏が暑いということでちょっとホッとしました。
極寒のイメージしかなかったので少し考えが変わりました。
・③ロシアの人は親切。いくつもの何回もの親切を受けました。
言葉は通じなくても身ぶり、手振りで相手の言おうとすることは半分はわかります。
その節はありがとうございました。
・④ホテルは別なんですが、鉄道のトイレは有料なんです。
慣れないしチップではないんです。
使用料金が決まっていて窓口があってお金を払うんです。
(トイレぐらいお金を取らないで。)
・⑤成田から出発して、ハバロフスク、ウラン・ウデ、
モスクワまでロシアの方ばかりでした。(異国に来ちゃったな。)
列車に乗っていた日本人風の顔立ち身なりをしていた方を見て
ようやく日本人に会えたな。しかし、、外国語をしゃべっていました。
日本人かと思っていたのに。
・⑥ふつう6日間で最新の列車で着くところ10日かけて
モスクワまで行きました。たくさんの人々がそこで生活していました。
・⑦シベリア鉄道に乗りたくて乗ってみて満足です。
上り、下りの複線で電線がありました。
軍隊に使っているんだな。昔も今も。
駅の近くに煙突が立っている、
小さな家がいくつか固まってありました。
野菜畑は塀で囲ってありました。
・⑧ロシアの人は親切に接してくれました。
感謝です。
ハバロフスクで駅に行く道がわからなかったら車で乗っていきませんか。
とかベンチで腰かけて、バックから落ちてしまったお金を
通りかかりの男の人が教えてくれました。
⑨シベリア鉄道のコンパートメントの女性はとても親切で懸命に仕事をしていました。
⑩昔、日本兵が強制連行されて働かされました。
「極寒」というイメージが強かったんですが冬はその通り。
夏は暑くて日本の夏を感じたのだと思います。
その温度差について行けたかどうかはわかりません。
⑪最近「屋根の上のバイオリン弾き」の映画を見た。
主人公はシベリアのことを、英語で「サルベリア」と発音していた。
面白いと思った。
⑫最近「ラルス・ウザーラ」の映画を見た。シベリア極寒の地を想像した。
すごい世界だ。そこで生きる狩人は文明の波によって
落ちつぶされていくところが自然の厳しさと相まって心に残った。
そこで生きている人がいた。
⑬ シベリア(ハバロフスク)でたくさんの人に接して大変親切にしてもらいました。
特に迷惑をかけた警察の方とは、最後に笑顔で別れました。
大変お世話になりました。
領土問題はありますが、日本の経済的な支援があったら
モスクワやサンクトぺテルグル苦に匹敵するような
大都市になるのではないかな。
4島を返してもらい共同で土地開発ができたらいいと考えます。
いろいろな意味でお世話になり本当にありがとうございました。
モスクワからパリに向けて続きます。
体験したことを読み取って想像して頂けたら嬉しいです。
モスクワ・パリ・ロンドン・リバプール・ベルファーストへと続きます。
今までの文を読んでいただきありがとうございます。