「2つの夢乗せて」(35日間の旅行)

 

 

 

150人乗りの「S7」という小型飛行機に成田で乗り込む。

(シベリア鉄道に乗っている間、時間がたっぷり。)

余裕の時間どうしよう。

好きな本を用意しようと思っていたんです。

しかし、その対応が間に合わず買えませんでした。

それなので出発する前に空港のコンビニで

PHP出版の2冊の文庫本を買いました。

(この2冊が後で吃驚なんです。)

 

機内に入るとロシア系の人がほとんどで、日本人らしき人はいません。

不安がよぎります。しかし、機内放送では、

ロシア語、英語、日本語で紹介があり少しはホッとしましました。

約2時間で。「ハバロススク国際空港」に到着しました。

日本の国内から海を越えて森林が多い山を越えて閑散とした飛行場へつきました。

 

 

到着ロビィーに出ると、「Iduma」の名前を

書いたカードを掲げた人が待っていてくれました。

その方はタクシーの運転手さんです。

飛行場から街まで距離があるのでタクシーで移動です。

 

その時自転車を持っていたんですが、

外したペタルを落としてしまいました。

気が付かなかったのですが、すぐ後ろを歩いていたロシア人が拾

って持ってきてくれました。

(その節はありがとうございました。)

車窓越しにハバロスクを観察します。

開発途上の町。

         (ハバロスクの駅)

 

でもラジオから流れてくる軽快で明るい音楽はこれからの旅を予感させてくれます。

高速80キロで約40分、もやっている街、

電子掲示板がポツリポツリある街を横切り、

海の見える小高い丘のホテルまで進めてくれました。

ホテルでは、中国や韓国(北朝鮮)の方が観光で多く見えられていました。

日本とハバロフスクは関係が深く、戦前戦中は

シベリア進出の入り口となり、敗戦では帰国のための代表的な港になりました。

 

観光案内のガイドブックには「日本人墓地」「日本総領事館」

があると読み行ってみたくなりました。

ホテルで一泊して丸一日をハバロフスク観光です。

 

      (ハバロスクの広場)

 

自転車に乗れるところは乗るのですが、交通量が多く、

道路での路上駐車が多すぎて危険を感じました。

ですから自転車を引っ張って、街の探検です。

地図上に一回りするところを書いたのですが、

日本の神戸や長崎と同じように海辺から山の天辺まで

さか、さか、さかばかりです。

 

旅行バックを後ろに積んで、自転車をひいて歩きます。

町に入ると車の多さに驚かされます。

      (小高い丘から海が見えます)

 

「トヨタ」、「日産」、「ワーゲン」、「ベンツ」など

新車もあったけれど中古車が多かったです。

トラックや乗用車の一部に日本の漢字、日本の商店名の

入ったものがそのまま使われています。

ホテルを出てから駅を探します。

地図を見ながらの移動ですが、日本の地図ではありません。

使用目的によって省略されていることが多いので

読み取りつらいのです。ようやく駅を探し確認して、

海沿いに向かいます。

 

すると観光客用に潜水艦がありました。入場料をはらい中に入ります。

私は高いところ、暗くて狭いところは大嫌いです。

でも仕方ないな。潜望鏡では外が見えますがあとは狭い中での生活。

(自分には合っていないな。)

 

    (中に入りました、狭く窮屈です)

 

とびらのあるしきりは頭を下げて潜り抜ける感じです。

中の掲示物に目をやると歴代のロシア軍人の写真や勲章が掲示されています。

水兵さんが寝るベットもありました。

出口にはロシアのいろいろな勲章が安く売っていました。

(商売上手というか何かピンときませんでした。)

入り口から出口まで出るのに5分と掛かりません。

外では朝鮮の観光客が、写真を撮ったり笑い声など楽しそうにしています。

街を一望できる展望台目指して、自転車を高台に引っ張ります。

荷物もありたいへんです。

 

ちょっと一休み。

小さな公園がありトイレもありました。

用を足しました。入り口で女の人が本を読んでいました。

(これはトイレの使用料を請求されるかも。)

伊妻は静かに立ち去りました。

そしてベンチに座り観光案内書と地図を取出を見ていたら、

通りすがりのロシア人が「お金を落としたよ。」と教えてくれました。

(その節はありがとうございました。)

移動は荷物を積んだ自転車を引っ張ります。

考えた場所につきません。

 

又展望台といってもその日の天気は

重い感じの雲が多く出ていて、案内書とは違い見えそうにないので、

諦めて移動していると三叉路のそばにちょっと大きな遊具のある公園が見えてきました。

自分としてはよく休んだつもりでも、体が疲れていたのでしょう。

一休みが七休みくらいになってベンチでごろ寝です。

 

2時間くらい休み、むくっと起きてこの公園の人々を「ウオッチング」です。

子供たちがこの公園を多く利用しています。

ヤンママたちが赤ちゃんをつれてやってきます。遊ばせます。

小学生くらいの子は缶けりのようなつけ鬼をしています。

「けいどろ」のような鬼ごっこを楽しそうにしています。

(遊ぶ場所も少なそうで子供たちがわんさかわんさか。)

 

老人は少なかったのですが新聞を片手に鳩に餌をやっている人もいま

した。

私が見たハバロスク(シベリア)は、

町全体が非常に活気に満ち溢れていました。

若い人が商売を引っ張っているような、

活躍が多くみられました。

子供の姿がうんじゃかうんじゃか(たくさん)いるようです。

 

(日本の公園とは違う。元気な子供の多さを見てうらやましい。)

アメリカ風のノリの良い音楽がラジオから次々に流れている。

中国や朝鮮との貿易や観光が活発に行われている。

「人の交流」。「モノの交流」が盛んいるようです。

日本の中古車が走り、これからの街づくりを若者が支えている感じを強く受けました。

 

ホテルの朝のバイキングはいろいろありました。

果物もお肉もですが魚の燻製はとてもおいしかったです。

そしてお寺や墓地を探します。

ちょっと離れていて山の方で着きそうにありません。

(無理しないで距離もありそうだから、あきらめました。)

2時半ごろから雨が降り出しました。

大したことないだろうと合羽を出さずに移動していました。

雨が降りやまず、早めに駅を探していたら、道に迷ってしまいました。

駅を探して行ったり来たりしている間、びっしょりになってしまいました。

 

英語のわかるロシア人に出会いました。

するとそばにいたご婦人が、「車で送りましょう乗ってください。」

と言ってくれました。しかし、自転車を持っていたので残念ですがお断りをしました。

(その節はありがとうございます。)

 

行ったり来たり、するとシベリア鉄道の書類がビタビタ。

こりゃ大変だ。あわててぬれないようにビニールをかけ濡れるのを防ぎます。

何回も何回も駅に行く道を聞くのだけれども、行ったり来たり。

地図の上では理解しているのですが、実際は省略形で、

ロシア語がさっぱりわからず悪戦苦闘。

たくさんの人に聞きました。それでもわからず、

 

     (真夜中の出発になります)

 

ある中年のおばさんがパスポートを出し警察官と物議をかもちだしています。

内容はわからないのですがトラブっています。警察官は2人いました                                                                                                                                      話していないもう一人の警察官に道をに聞きました。

「この道を2000mくらい行った左側にあるよ。」

ロシア語で。さすがにわかりやすく教えてもらいました。

人にものを教えるときには、「丁寧に」、

「紙に書いたり」「指で指図したり」、

「目印の建物を教えたりする中でわからない人に教えてあげられるといな。」

の警察官は指をさして教えてくれました。