絵師 | しょうかんのうだうだ

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仏絵師藤野正観(66)の備忘録・・・っといっても、ほとんどどこにも出かけないので、ふだん、ぐだぐだ思ったり考えていることを書き連ねることになるのは必至。

私の仕事は、仏絵師とか仏画師、あるいは描く題材によっては絵仏師とも表現される。
この文言の最後にある『師』とは、この文字にはどういう意味が含まれるのか、調べてみた。

広辞苑によると、意味が7種類あったが、私のような職業の場合は、3番目にあった「専門の技術を職業とする者」の項に当てはまる。

また、『絵師』を直接調べると、え‐し【絵師・画師】
1、宮廷・幕府などに直属し絵画の制作に当る職人。
  令制では画工司(エダクミノツカサ)に、平安時代以降は画所・絵所に属した。  
  御用絵師。えかき。画家。画工。

とあった。

自分なりの解釈となるが、一般に使われているニュアンスからこの意味を考察すると、「専門技術を身につけた者」という意味があって、その上に、『師』には「教え導く者」とか「ある境地に達した人」などという語に潜む精神的な意味が重なるような気がする。

明治時代に、芸術とか芸術家とかといった概念が油絵と共に輸入されたのであるが、その後、職人的意味を持つ「画工」という表現こそ消えたが、「絵師」といった芸術家とは一線を画す「職人」的な姿勢として「絵師」という立場的呼び名を用いてきたようだ。

明治以降の学校美術教育の場では、西洋の近代美術の美意識や、概念を基準として教え伝えてきた。
小中高と美術教育の全てが、その西洋の美意識で教えられ育てられた。

今年から、我が工房にM美大を卒業した女性が入門してきた。彼女は職人として絵師になりたいというのだ。
彼女がここに来る前には、絵師という仕事がどういったものか、私の経験を通してよくよく話をしたし、彼女もその意味を理解した、というよりそれを望んでいた。

当工房は、入門当初の1年間はお給金などというものはない。それでも良いと言うのだ。

「職人」イコール「本物」・・・というニュアンスが昨今の物作りをする人に対しての世間の、特に若い優れた感性を持つ人たちの中で共通の認識となってきた。

見た目さえ良ければ、何かを感じさえすればそれで良いという時代が過ぎ去ろうとしているように感じる。
アートとか芸術という「曖昧で未熟で独りよがりな感性の表現」は、観る人の心を空しくさせるだけになったのかもしれない。
今の若者は、それを感じ取っているのであろう・・・。

絵師であり図案家だった神坂雪佳(1866-1942)は、16歳で四条派の日本画家・鈴木瑞彦に師事して絵画を学び、装飾芸術への関心を高めたのちの1890年には図案家・岸光景に師事し、絵師としても工芸意匠図案家としても活躍し優秀な絵や図案(デザイン)を残した。
当時、フェノロサや岡倉天心が推進した日本の伝統的美意識や技法を美術学校システムにて教え伝えようとして、西洋文化に憧れ影響された「絵師」を指導者とし、「教授」として迎えようとした時も、彼は、本来の日本の生活空間を装飾する「絵師」としてその姿勢を貫いたそうだ。
京の町にはその神坂雪佳の跡を継いでいる職人絵師や図案家が今も残る。

日本の伝統美術の振興に尽力したフェノロサだが、それはその伝える方法やそれに確かに潜む「伝える心」を欠いていた。学校制度では伝わるはずがない。

このことから、明治以降に制作される絵画の価値基準は、自己を表現する芸術家としての当時としては革新的「画家」と、従来の住空間を装飾する職人としての保守的立場として活動(生活)する「絵師」に分かれた。


今、京都のある寺院が、美術系の私立大学と襖絵の制作プロジェクトとして、その大学を卒業する学生を「絵師」として募集し、1人の女性を選んで、その学校の教員と住職とが、にわか仕立ての「絵師」に仕立てて、マスコミやネットを利用し大々的に広報活動をはじめたそうだ。

その寺に工房を構え、作務をこなしながら、かつての絵師がそうしたように、寺が給料を支払い全面的に支援するといった、やらせ企画だそうだ。
思いつきは、その寺の副住職なのだそうだが、聞くと、趣旨として、絵師を育てる昔の良き文化を復活させようと、寺の役目として熱い想いを巡らして頂けたのだそうだ。

しかし、所詮は、にわかつくりのパフォーマンス。
学校側の教諭でもあるプロデューサーが全てを取り仕切る。
寺は、襖の制作費を浮かすついでに話題を提供し、見学者、参拝者を有料で招く為の旨いやり方をその「趣旨」で隠す。
一方の美術系大学は、こうした話題や実績を広報することで、美術系生徒の獲得に繋がるし、新しい可能性を期待してのことであろう。

利害が一致した経済活動である。これも、ひとつの文化かもしれないが、売りが回顧主義のようで、実は、今流行りの「絵師」の「AKB48版」なのである。

AKB48は、流行り歌の世界だから、ひと時の流れなのでそれも許せるが、寺の襖絵は後世に残り、その時代を屈折した部分で反映してしまう。
というのも、京の町には、まだまだ神坂雪佳のように優秀な職人絵師が数多く埋もれているし、これから真面目に真摯にその職人の技や精神を学ぼうという若者が居る。

美術系だけではなく、いわゆる大学校という存在が、日本の良き精神文化を壊して来た。
特に美術・工芸に関しては顕著で、制作意図のところでその根本である精神を言葉や文章で教え伝えることはできても、身につけさせることは不可能なのだ。

「絵師」という、自己表現を主とする芸術とは一線を引いて、独自に修練を積んできた「職人絵師や工芸師」といわれた人達が、長い時を経てやっと得た「本物」という評価を、アーティストを養成する美術大学が、これから激減する生徒の獲得の為に、まさにその「絵師」という語の響きを安易に横取りし、生徒を欺こうとしていることに、私は気付いた。

ことに、このプロジェクトに応募し、採用された若者の将来を心より憂慮するが、ご本人は、いたってAKB48のメンバーのように、「絵師」という語の持つ枠組みの意味など考えることもなく、選ばれたアーティスト気分なのかもしれない・・・。

古い優良な伝統文化を大切にするこの京都が、今後、彼女を受け入れることができるのか、結局は彼女自身の精進にあることに、彼女自身が早い時期に気付いてくれることを願わざるを得ない。

当工房にこの4月から修行を始めたM美術大学を卒業したての新人に聞いた「君にもし、こういった機会が与えられたらどうする?」
「もちろん、喜んでお受けします。だってお給金を貰えて、技法を教えて貰いながら、画材も無償で提供して貰って、マスコミやネットで報道して貰いながら貴重な経験ができるんですよね。チャンスだと思います。」

確かに、絵師として修行し、下積み生活をして来た者にとっては素晴らしいチャンスだと思うのだが、美大出たての彼女にとって、いったい何のチャンスだと感じたのだろう・・・。