いつか通った道 | しょうかんのうだうだ

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仏絵師藤野正観(66)の備忘録・・・っといっても、ほとんどどこにも出かけないので、ふだん、ぐだぐだ思ったり考えていることを書き連ねることになるのは必至。

浄住寺/地蔵寺/西芳寺(苔寺)/鈴虫寺/月読神社/松尾大社と『京都・仏画館』
苔寺南側の門 看板 苔寺2

昨日は61歳の誕生日。
朝、自転車で工房に到着すると、ちょっと仕事をしたあと、1人で『旅番組』の録画を観た。
近所の松尾中学のグラウンドでは、松尾学区区民体育祭が行われていた。
場内アナウンスの声や声援が聞こえていた。

午後4時頃、あまりに天気が良いので外に出たくなった。
自転車に乗りたいので、いつもより早いが帰宅することにした。
自宅へ帰る道を大きく変えてみた。
桂川の堤を南に進み、伏見区久我の曹洞宗の開祖、道元禅師誕生の寺といわれる誕生寺まで遠回りし、そこから向日市経由で自宅に帰った。
しめて17Km。アップダウンもあったが別にどうってことはなかった。
私の体もけっこう自転車に慣れた。さわやかな季節のおかげか、とても気分良く帰る事が出来た。

誕生日だったので、女房が気を利かせて、好物のかしわ(鶏肉)ですき焼きを作ってくれた。
朝から、地鶏を飼育している大原野の佐藤鶏肉店に『ひね鶏(親鳥)』をつぶしてもらうように御願いしておいたのだ。
私は、柔らかい歯ごたえよりしっかり噛むと味わえるような硬い肉が好きなのだ。
昔、スリランカのアヌラーダプラのホテルで食べた硬い水牛の肉の味が忘れられない。
年をとって歯が使いものにならなくなる前に、食しておきたい一品だ。
ダイエット中なのでお誕生日特別メニュー、久々のボリューム『かしわのすき焼き』はやはり旨かった。疲れたので22時に床についた。

夕べ早く寝たせいか、今朝も5時半に目が覚めた。
朝食を済ませ、6時45分に自宅を出て、自転車で工房に向った。
今日の世間は体育の日でお休み。通りには人の姿といえば、リハビリで散歩中の中老年の姿か70歳~85歳前後の本物の老人の散歩姿が目立つ。
若い人など1人も居ない。
近い将来、昼間でもこういう光景が多くなるのではと本気で心配する・・・。

いつもは素通りする上桂付近の坂道を、連休をエンジョイする親子連れの自転車につられて後を追った。
自転車で通うようになってから、かねてより気になっていた急な登りの坂道だった。
その父親と子供の3人連れは、どんどん遠ざかって行く。
かろうじて、自転車を降りずに上がりきったそこには、りっぱな葦ぶきの門構えの旧家があった敷地にして600坪ぐらいか、そうとうな旧家であるが人が居ないようだった。表札も見えない。

そこから松尾地区に向け、「浄住寺」「地蔵寺」「西芳寺(苔寺)」「鈴虫寺」「月読神社」「松尾大社」へと、その先は嵐山の山麓に続く。
この観光寺院でやはり圧巻なのは、世界遺産「苔寺」であろう。
往復ハガキで申し込みをしないと、入山させてくれないそうだが、その寺の南側の整備されすぎた谷川のせせらぎと平行に続く道を散策してみようと自転車を走らせた。
苔寺の南の山門越しに見る境内は、やはり気品があって美しい。まだ入ったことはないが、さぞかし緑の苔が美しいのだろう。垣根越しに見える境内のそれで十分想像できる。

この道がどこまで続いているのだろう、散歩の帰りだろうか、ちょうど山の方から犬と歩いてくる中年の男性に遭遇した。
聞いてみた「おはようございます、この道はどこに向っているのですか?」「この道ですか?林道なので、山に向ってるだけです。」「そうですか!もうちょっと先に行ってみます。ありがとうございました。」
少し、進むと、何やらこの道、見覚えがあるゾ・・・。
そうそう、私が京都の桂(かつら)に弟子入りに来た頃、先生の次男、当時彼は中学生だったか、その中学生の息子さんと一緒に、自転車でここを通った・・・。
この先に古墳の跡があって、その洞穴で掘りつくされようとしている間際の水晶が取れた。
岩を砕く為のハンマーを持ってここを通ったのだ。
まだ18歳の頃だったかもしれない。43年も前の記憶だった・・・。

記憶が蘇って我に返り、鈴虫寺の石段前を通過し、月読神社の前の参道を真っ直ぐ東に向った、この先500mに我が工房と「京都・仏画館」がある。

同じように少年の頃の水晶発掘を思い出した人が居たので、その方のブログをリンクしておく。

グーグルで「京都・仏画館」を検索するとクチコミを書く欄が有る。
まだ何も書き込まれていないのは当然なのだが、そろそろ公にこの存在をお知らせしないといけないと思っている。
ここにクチコミが書かれる日を楽しみに待つことにしよう。
仏画館を訪れた人は、書き込んで欲しい。