無憂樹 と おにぎり と 植物園 | しょうかんのうだうだ

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仏絵師藤野正観(66)の備忘録・・・っといっても、ほとんどどこにも出かけないので、ふだん、ぐだぐだ思ったり考えていることを書き連ねることになるのは必至。

無憂樹01  無憂樹02 無憂樹03

無憂樹
 2500年以上も前、北インドのカビラ国で、6本牙の白象がお腹に入って来る夢を見て身籠った摩耶夫人(マーヤ)が、ルンビニ園(現在はネパール国内)にて、「無憂樹」の花があまりに見事に咲いていた為、その花房を手折ろうとして右手を上げた瞬間、夫人の右脇からお釈迦様が生まれました。
お釈迦様は、すぐさま7歩歩き、「天上天下唯我独尊」と発声したと言われている。

何年か前に2度もそのルンビニに行っている。
遺跡に植えられた無憂樹の樹をなんとなく見てはいるのだが、マメ科の樹であったことは記憶があった。
でも、訪れた時期には花が咲いていなかった為に印象がいまいちだった。

今回は、仕事のこともあって、その無憂樹の樹を再度確かめるため、その樹を求めて、京都府立植物園に行って来た。

一昨日、植物園に電話を掛けて、無憂樹の樹の存在を聞いた。係りの方がリストの中からそれをみつけ「観覧温室にあります」という応えだった。
昨日も天気が良かったので、工房の皆と「自転車で行ってみるかぁ!」と、いつもそうなのだが、急に計画を企てた。
おにぎりを持って、片道12Km。
今の元気な私にとってはなんてことはない。
11時に出発して12時に到着、自転車を停め入園。1人200円3人分を支払った。4人目の私はというと、60歳以上ということで「無料」だった・・・。
温室に入るには、あと200円づつプラスした。もちろん私は無料。

うれしいやら、かなしいやら・・・。

無憂樹の花は6月頃に咲くそうだが、実際に見るとその葉の大きさや構成、構造、質感を感じ取ることができた。
これで、ネット上にある他の無憂樹の画像を見てもすんなりとイメージできるというものだ。
(※上の花の画像はネット収集より無断掲載です。)

おにぎり と 植物園
 37年以上も昔のこと、図案家の師匠の下で修行中の頃、24歳の頃、今の妻と付き合っていた・・・。
日曜日、朝早く洗濯を済ませると、そそくさと最寄の駅、阪急電車の桂駅から乗り、河原町駅で降りて合流、彼女の握った手作りのおにぎり二人分を持って鴨川の堤を歩いて植物園へ行った。
夕方まで、図案に必要な花を写生する。彼女は写生する私の傍らで何をして待っていたのだろう・・・、記憶がない。
そうして夕刻まで植物園で過ごすと、また鴨川の堤を二人で歩いて四条まで帰った。
そこで彼女とは別れて私は師匠の家に、彼女は下宿先へと帰った・・・と思う。
余談だが、記憶というものは、ほんとに曖昧で、もし、事件にでも巻き込まれアリバイなど証明しなければならなくなった時などどうしましょう・・・と思ってしまう。

その日のデート経費は電車賃のみ。当時、二人とも極力節約していた。

遠い昔のお話である。当時の日曜日は、たいていそんな風に過ごしていたように思う。

その植物園に37年ぶりに行ったわけである。
植物園の中が何が変わっているのかまったく思い出せない。
昔の園内の様子の記憶が私の頭の中になかったから不思議・・・。
ただ、蒸し暑い温室の中でカトレアを写生していたことは思い出した。

昨日も37年前と同じように彼女の握ってくれたおにぎりを植物園で食べた・・・ことになる。
37年ぶりのおにぎり。

2時に植物園を出発して、計画通り3時には無事に工房に帰って来た。往復24Km。
夕方、これにも増して7Kmの登りの道程を自転車で帰ったのだから、しめて31Km!!
61歳にして一日における最大の自転車移動距離となった・・・。

 以下に「仏教三大聖樹」を挙げておく。

お釈迦様が、この樹の下で「誕生」された聖なる樹「無憂樹ムユウジュ」。
お釈迦様が、この樹の下で「悟り」をひらいたとされる聖なる樹「印度菩提樹インドボダイジュ」。
お釈迦様が、この樹の下で「入滅」されたとされる聖なる樹「沙羅樹サラジュ」。