ニュースを見て不安に思うこと

 

 

 

 

 

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少し前の3月初め、一つの話題で世間を燃やした某お笑い芸人KAによる「薬剤師に対する職種軽視発言問題」

 

YA;「薬局でのやり取りの時間が無駄」

 

HA;「薬剤師による医者憧れ」

 

 

タイトルの「毒にも薬にもならぬ」とは…

 

「害もなければ効能もないような、いてもいなくてもよいような(役立たずの)存在」

 

「薬剤師」へ冠する枕詞としては、これ以上の皮肉はないだろう。

 

いや、KAのお二人が発した言葉のニュアンスは、もっと厳しかったか?

 

日頃、薬局において薬剤師が行っている仕事は、来局している患者にしてみれば、害もないどころか、むしろ害悪だと言っているように感じる

 

かくいう筆者も、その日本に数多いる“厄罪氏”の末席を汚す一人

 

 

ところで、「不安に思うこと」というテーマに参加しておきながら、主旨はずれるかもしれないが…

 

もう至るところで言われ尽くされたように、今回の件は、KAだけの問題ではない

 

抑々、生放送ではなく収録という時点で、編集せずに放送に踏み切ったTV局側の倫理観も問われて然るべき

 

さらに、“厄罪氏”の一人として言わせてもらえば…

 

本来、他の職種のことなどよく分からなくて当然。

 

理解する必要もない、とさえ思う。

 

しかしながら、一人の社会人として、同じ社会に生きる他人の仕事に対し、理解はなくともある程度の尊重、尊厳は以て接するべきではないか

 

無恥・無知故に、悪気はなかったとはいえ、仮にも芸能界という人気商売の立場・職種に従事する人達が、碌に知りもしないまま、他人の人生を懸けた仕事に対しただ批判を放ち、非難に走る(=放送)、という安易で稚拙な姿勢・思考が、ただ悲しかった。

 

 

そう、「よく分からない。」

 

“厄罪氏”としての人生をすでに十数年歩んでいる自分でさえ、そう思う。

 

世間一般の患者達にとっては、薬局の仕事の認識度はそんなものだろうな、と。

 

すなわち、KAの意見は、そのまま世間の“代弁”だった、ともいえるだろう。

 

(これも、すでにネットニュースでも言われていた)

 

薬局薬剤師の本来のアンサングな(?)仕事・役割というのは、これまた今回の件をきっかけに数多の関連記事の中で散々こすられていたようなので、ここでは敢えて割愛するが…

 

世間一般の認識の現実は、おそらく本来のそれとは程遠く、薬屋の薬師は、「医師の指示(処方箋)どおりに薬を準備し、患者へ渡す」“だけ”

 

“なのに”、高給取りだから、羨ましい(?)

 

本当に、“だけ”ならば、どんなに楽だろう

 

そして、“だけ”ならば、確かに私も高給だな、と思う

 

しかし、現実は…逆に割に合わない、と思う。 (これは、薬局業界の各会社の給与にもよりますが)

 

“厄罪氏”は、「毒にも薬にもならない」かもしれないが…

 

薬は、それこそ匙加減で「毒にも薬にもなる」!

 

我々“厄罪氏”の仕事の先には、患者達の命が懸かっているため、医師らと同等かつそれ相応のリスクと責任を背負いながら、正に命懸けで日々従事している。

 

 

今から言及することは、ともすれば、KAの二の舞、自身へのブーメランにもなりかねないかもしれないが…

 

よく、今や日本全国の薬局の店舗数は、コンビニのそれより多い、と比較の槍玉に挙げられ、揶揄される。

 

しかし、私は逆に思う。

 

「多くて何が悪い」、と。

 

薬局で薬を渡すのは、同じ“小売業”に分類されるスーパーやコンビニ等のレジでお菓子のバーコードを読むのとは、事情が違う!

 

薬は、売り切れた(物がない)から、といって、「はい、そうですか」とは終われない。

 

薬の費用は、その大部分が保険で賄われており、だからこそ、薬局での利益から支払われる薬局従事者達の給与にも保険が大きく関わる。

 

大きなリスクと、責任とともに…

 

それなのに、例えばスーパーやコンビニにお遣いに行くように、安易に代理人に薬をもらいに行かせたり、急いでいるからさっさと渡すようにせがむ、というのは、医療の原則からしても、薬剤師・患者双方のためにならないし、あまりに保険というものを軽視した行いではないだろうか。

 

 

しかし、「時は金なり」

 

時間は誰にとっても有限で貴重なもの。

 

「病院でさんざん待たされたのに、薬局ではもうそんなに待ちたくない。」という社会心理も、至極ごもっとも、と思う。

 

なぜ、薬局という場において、“待ち時間”がよく問題になりがちなのか

 

一つは、薬局における利益とは、国によって決められた調剤報酬という規定に縛られている

 

よって、経費削減・節約のため、勤務人数や設備投資も限られてくる

 

次に、病院が始まる時間、閉まる時間がほぼどこも同じであることから、処方箋が出る時間も自ずと重なってくるため、薬局に集中・殺到することになり、経営を維持するための人数体制では迅速かつ効率的に捌ききれずに、現状のように「ただ薬を渡すだけの場所のはずなのに、薬局はいつも混んでいる」という社会通念が生まれることになる

 

行政は、あくまで医療の原則を盾に、そのような現場の現実には顔を背け、見向きもしようとしない

 

そして、薬局業を経営する会社の経営陣も、行政同様、経営の事情を盾に、現場の現実など見て見ぬふりを決め込み、果たして勤務人数を増やそうとはしない

 

きっと、会社経営陣たる上の人間たちはこう思っていることだろう

 

『薬の調製には、どうしても時間がかかるもの。

 

どこに行っても同じならば、そうそうそれを理由に薬局を変える、というケースは少ないだろう』、と。

 

患者への事情説明は、薬局たる現場に従事する人間達の義務であり、企業努力の一つにすぎない、と。

 

しかし、現場を知らない(ふりの)頭でっかちのお偉方が作った、およそ現場の現実にそぐわない独りよがりなルールに振り回される薬局という現場を取り巻く人達(薬局従事者・患者)にしてみれば、たまったものではない。

 

正に、最近復活することが報道され話題となった伝説の某刑事ドラマを象徴するセリフのごとく、

 

『事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きてるんだ!』 である。

 

 

私は、この現代の社会構造自体に、課題があると考える。

 

その社会構造とは、“病院等がどこも皆同じ時間に始まり、同じ時間に終わる”“休日も日曜・祝日に統一”という性質自体を指す

 

そこで、例えば、地区ごとに持ち回りで1日の開業~閉業時間を数時間ずつずらす施設体制にしたり、各施設で一定期間ごとに定休日の曜日を変えていく、などにすれば、病院も薬局も集中する時間帯を減らせるのではないか

 

 

あるいは、逆の発想で、医療機関には、何かしらの体調不良で訪れる患者達に、なるべく迅速に診断から投薬まで完了できるように、それ相応の人員を配置する社会体制とする(だけの社会保障費を医療へ割く)

 

すなわち、医療機関自体をすべて国営に近い形にし、患者の待ち時間削減を図る、というのはどうだろうか

 

抑々、私は医療を営利的とすること、特に薬局業をスーパーやコンビニと“同列”の“小売業”とすること自体に違和感を覚える

 

医療従事者は皆、お金目的では従事していない

 

多くの医療従事者が、それぞれの胸に大きな使命を秘めて働いている、と言いたい

 

患者の待ち時間が問題になることは、それ即ち医療従事者が焦ってミスを誘発することと同義である

 

もし、本当に焦りから人為的ミスが発生してしまった場合、引いては、巡り巡ってそれはそのまま焦らせて急がせた患者自身の首を絞める結果になりかねない

 

医師も、薬剤師も、決して永久機関ではない

 

疲れ、消耗し、集中力も切れる、一人の人間なのだから…

 

これは、決して我々医療従事者側の言い訳・理屈、では片づけられない

 

患者側にも納得に足りる事情だと私は信じている

 

 

また、“薬局での説明・聞き取りが無駄・不要”と考えている芸人YAと同様の人種への対策として…

 

まず、一つには、その必要性を説明しきれてないあるいはその自分達の存在価値を提供しきれてないのは、ある意味我々薬局従事者達にその責任の一端はあると認めつつも

 

それでもなお、不要だとする部類は必ず一定数存在すると思われるため

 

例えば、『説明・聞き取りが不要=たとえ薬で何が起きても自己責任』に同意したうえで、お望み通り『薬を渡すだけの場所』という、これまでの保険薬局とはその性質を異にする業務形態、すなわち“非保険薬局”なる施設を創設する

 

ただし、同時にそこは保険を通さないため、自ずと薬代もすべて自己負担である

 

それに伴い、“薬剤師”という免許制度も、従来のそれ相応の責任を伴う“保険薬剤師”と、“非保険薬局”なる施設で従事する“非保険薬剤師”という形でグレードを分けることとする

 

だいたい、保険は行使するけれど、薬はただ早くもらいたい

 

その患者達の姿勢自体が、抑々「虫が良すぎる」と思うのだ

 

まあ、後半の案は、医療の原則上、残念ながらまず決して実現することはないだろう

 

社会保障費確保・節約のため、いわゆる“セルフメディケーション”が叫ばれて久しい現在

 

個人的には、なかなか試行価値のある案だとは思うが…

 

 

かなり主旨から脱線してしまった

 

締めとして、元々のテーマである「不安に思うこと」

 

この記事が、新たな炎上の火種になりはしないだろうか、ということ

 

 

以上、「毒にも薬にもならぬ」、ある場末で燻るしがない薬師のひとりごとでした。