こんばんは、FUjiNextNetです。

 

夏に段々近づくと、小さな頃に親父が旅行に連れて行ってくれたことを思い出します。

 

死因は結論から申しますと、心嚢血腫という病名でした。

 

 

 

 

旅行先は決まって、東北でした。

その中の1回は、東北からの北海道でした。

(後で知ったことですが、東北や北海道を網羅した後に

甲信越北陸・東海地方・関西地方・中国地方・・・・・・・・

と、進んでいく予定だったようです)

 

至極、仕事含めて、人に優しく、生活に関して真面目な親父でしたが

子供には特にお茶目だった親父は色んなことを経験させてくれました。

 

馬が見たいという子供に、旅行中に「それは良い!」ということで競馬場に行ったこともあります。

 

海では親父が1人、海に浸かって、顔を出してプカプカと砂浜での熱を冷ましている姿は

子供たちにはカバが顔を出していると、姉兄弟の皆んな愉快な気持ちでした。

 

これは忘れもしない・・・

XXXXおいで、と呼ばれて行った時に親父が後ろを向き

掴めるように手を出してごらんと言ったので手を出して掴ませると・・・・

至極楽しそうに元気良く「行くぞ!!!!」っと言って・・・・・

腕を掴まれて逃げられない僕に大きな臭いオナラ攻撃をしてきて酷い目にあったこともあります笑

 

僕は高所恐怖症、絶叫マシンなどが乗れなく、家族が『乗る!!!」っと言った

そういった場合には、下で待っているという僕が居たことが、同様に苦手な親父の助けだったと思います。

 

 

 

子供の頃にこんな家に居られるかと出て行った父は(敷地内・・・)

曽祖父宅に住み、親弟妹とは別の生活を送ることになりました。

 

そういった中で、親父は曽祖父より、お家を守れと育てられました。

「このお家を絶対に守れ」と。

 

大地主の本家の長男であった親父は、33歳で父を亡くし

曽祖父等を含めての、この国の相続税等での酷いダメージ。

 

それと同時に相続関連等で、僕で言う祖父の姉妹たち、曽祖父の奥さん(曾祖母さん)からの酷い相続争いで

(見込みの無い)酷い相続をして、疲れ切っていた親父。

その中でも本家の長兄として、ただ苦しいことをただただ寡黙に乗り越えて。

 

今思えば良く精神を保っていたなと、、、今の僕は思います。

 

 

 

親父が亡くなった後も本当に大変なものでした。

 

 

 

 

最後の最後は、妻娘の前で、心労で他界したと、僕は泣きじゃくりました。

「こんな可哀想なことがあるか!」

「親父は安心する時間などなかったじゃないか!」

と、妻娘の前で、僕は泣きじゃくりました。

 

膨大な量の見てきたことを書くのは控えますが

 

息子の前では強がったのでしょう。

 

父が言っていたそうです。

 

みぞおち付近が痛いと。

 

酷く痛い、大好きな食べ物も控える。

 

酒も飲まない。

 

体調が悪い。

 

みぞおちが痛い。

 

そう言っていたそうです。

 

 

そういう言葉の、短い期間に、1人でいる時に、他界しました。

 

 

その最中に病院に行けば、病院にも寄るとは思いますが、助かっていたと言われました。

 

 

 

 

僕は悔います。

 

 

 

助けられなかった事。

 

聞かなかった事。

 

聞いていなかった事。

 

思いを探れば多くの感情や考えが浮かび上がります。

 

 

本当に悔やまれます。

 

 

 

どんな状態であろうと、親父に声をかけたい。

 

他界した後も、親父に返答の無い、会話をします。

 

大切な家族に、体調が悪い時に、行くように催促して欲しいと思います。

 

 

仏様になってしまった後は、2度と、応答ができませんので。

 

 

毎日のように親父を思いますが

 

ふと、今日も、親父のことを助けられなかった事を思いました。

 

 

みぞおちが痛い、体調が悪い、そう言ったことがあった時に

 

その可能性がありますで、是非、病院に行って検査をして欲しいと願います。