平山美代子です。
昨日のつづきです。
なぜ、数人での写真鑑賞会が擬音のトレーニングにいいか
というと、写真は感覚のかたまりだからです。
写真に収めるということは、
その人の「好きタイミングのシャッターチャンス」が生まれたからですね。
どの部分に「好き」を求めたのか
狙っていたのか、待っていたのか
その瞬間を狙いを定めて、自分で決意して、
シャッターを切るわけです。
そして、その想いは不思議とみる相手に伝わる。
写真は、決意のカタマリだと、写真家の方はいいます。
優柔不断ではシャッターはきれません。
このとき、この時間に、いいと感じたものをとる。
その本心が、鑑賞会では聞けるわけです。
たとえば
下のような、写真が好きな人がいたとします。
どうしてこの写真がいいんですか?
この写真のどこが好きなんですか?
と聞かれた場合、どう答えますか?
感性を磨いていない人の回答は
たぶん
青空だと、なんだか気持ちがいいから。
答えがたいていひとつとか、好きの数がすくないんです。
磨いている人の回答は
たぶん
青空でスカっとしてとても気持ちもいい
左の雲のもわもわした感じと、青空の濃淡のバランスがなんとなく心地いい
雲も、ひとつだけじゃなく、小さいのから大きいのまであって
人のように見えて、なんとなく追いかけっこしているみたいで楽しそう
奥の雲と、手前の雲と「どこに行こうか~」なんて会話をしていそう。
で、電灯が、左だけじゃなく、右にもちいさいのがあるから
左の電灯をぐっと引き立たせているし
フィルターかけてるみたいに、窓ガラスごしっぽい中でとったのかな?
中央の右の光の反射が、ほどよい眩しさで、やわらかい春のかんじがする
ちがい、わかりますか?
たった写真1枚だけで、こんなにも人によって受ける感覚が違うんです。
上の人より、下の人からのほうが、なんとなく楽しい会話ができそうな気がしませんか?
写真って、同じ写真でも人により好きな部分が違う
だからこそ、自分と相手の好き部分を共有し合うことで、
他人が使う擬音を吸収できるんです。
気になった擬音は、忘れない。
そして、次は自分が使うように心がければいいと思います。
もし、人数が集まらないとか
時間があわない場合は
自分で1枚の写真をながめて
おもいつくまま、感覚だらけでいいので
メモに残すのもいいと思います。
メモと写真つきで、写真好きなお友達と交換しあうのもいいと思います。
いちばんは、やはり実際に口に出して体験していくことですね。
