もう、十年以上も昔のことになる。当時、田舎から東京へ上京してきたばかりの私は大学近くの代田橋に四畳半一間の部屋を借りて住んでいた。受験勉強からの開放感のせいなのか、それほど熱心に大学の講義に顔を出すことはなかった。昼ごろにベッドから抜け出すと、そのまま校舎の隅のほうにあるサークルの部室へと足を運んだ。ドアを開けると大抵部屋の中には誰かがいて、お互いに顔を見合わせると特に理由もないのにくすくすと笑い合った。運がいい時には、昼食時に先輩からランチをおごってもらえることもあった。同級生や先輩たちと過ごす時間はとても楽しく、そのうち誰かが講義に出る為にぽつぽつと席をたち始めるまで、何時間も時を過ごした。
講義が終了すると、部の練習場へ向かうために京王線に乗車して八幡山へと向かった。この練習場で、日が落ち、もう的の姿が見えなくなる時間まで洋弓の練習にうち込んだのだ。締めは芦花公園の周りをぐるりとランニングするというものだった。体は悲鳴をあげたが、さらに一年生には的をかたずけたり、畳に防水シートをかぶせる、などの雑用が課せられていた。しかし、私は雑務をきびきびとこなしていった。同学年の女子に気になる存在の人がいて、彼女にいいところを見せようとはりきったのである。
Nは世間ずれのしていない、いい意味での“お嬢さん”だった。私は大抵女性と話すときに視線を合わせることができなかったり、ぶっきらぼうだったりする。会話をしていてもぎこちなくなってしまい、途中で話につまって気まずい沈黙が流れてしまうのだ。Nは美人で、誰にも人当たりがよく、私が会話をしていても苦痛を感じない女性だった。私は彼女の前でなら、本当の自分をさらけだすことができると思っていた。部の用事などで彼女の家へ電話を掛けたりした時などに、電話口にでる彼女の「はーい」という間延びした声はどこか家庭的な感じがしてチャーミングだった。彼女とのたわいもないお喋りは常に楽しかった。
夏は唐突に終わりを告げた。
長野の菅平での合宿を終え、東京に戻ってきて一ヶ月ほどがたった頃、彼女の態度が急によそよそしくなったのである。理由はすぐに知れた。こんなのはどこにでも良くある話だ。同じサークルの、私が親友だと思っていた男と彼女は付き合いだしたのである。彼は私が彼女に寄せる気持ちを知っていたのにである。私という男は、よくよく甲斐性のない駄目な性分に生まれついているものらしい。あまつさえ、私はその男に「彼女のことを大事にしてやれよ」というような意味のことを言い残して身をひいたのだ。
そんなことがあってしばらくして、私はサークルの先輩の家に一度だけ泊めさせてもらったことがある。いい男同士がお互いにお酒を飲みながら慰めあっている図なんて、いまから思えば噴飯ものだ。私が酔ってクダを巻くと、「まあ、男と女の仲なんてようワカラへんな。くよくよしたってしゃあない。なんとかなるもんや」私は何が「なんとかなるのか」納得できなかったが、上手くその気持ちを言葉にすることができなかった。オーディオデッキからは、その当時流行っていた、槇原敬之の「もう恋なんてしない」が流れていた。その先輩も失恋をしていたのだった。
もうあれから随分時が経過した。私は変わったのだろうか?それとも依然あの頃のままのように「引き立て役」でしかないのか?答えはまだ出ない。