7まできた。とうとう。
多分、8か9で終わる、
終わるというか「ナウ」に切り替わる。


Vo.田中 脱退。
西宮のガストで皆で泣く。青春。
「バンドも解散だな」という結論に至る。

確か次の日くらいに、当時のMERSEYBEAT店長マーシーさんに報告。
解散ライブの日取りが決まる。
日取りを決めてから1時間も立たないうちに
全出演者がOKの返事をくれる。愛されてました。

4/19@MERSEYBEAT
KNOCK OUT MONKEY / REGO / SUPER QP / Action not words / BUGSLUMP

動員は220人…くらいだったかな?
何故SOLD OUTにしなかったのかは謎。
4Fフロアは勿論、ステージも5階のPAブースも、
3階(ドリンクカウンター)までパンパン。
SEで既に号泣してて、その時は笑ってしまったな。

ちなみにちなみに、広島から来たラジオボタンの辻は、
ライブが始まる前に酒飲まされすぎて潰れてたのに、
SEが流れる直前に生き返りました。

後にこの事が、
脅威のアルコール回復力として語り草になるとか、ならないとか。
全く以て、どうでもいい。

ちなみにその時のSEはハンサム兄弟の「月並み」でした。
参考までにSEで使ってたバンドは
音速ライン/凛として時雨/ハンサム兄弟/フラワーカンパニーズ
とかやったかなー?
忘れた。SEブレ過ぎ。

案の定、ギターを粉砕する。
36万のギターにさようなら。
まだ家にあります、今年中には直したい。

打ち上げは90人くらいおって、
全員に乾杯してたら終わった。

そのままメンバーと謎の車中泊をして、
スーパー銭湯に行って、お別れ。
何気ない1日のように、俺たちは解散しました。

それから、というかCRAZYSOUL解散直前から、autumn colorに移行。
元々、曲作りを俺もしてたので、そのまま引き継いで、
他の誰かに歌わせるぐらいなら俺が歌おうって事になる。
初めは5人でやるつもりだったんだけどね。

初めてのギターボーカルに悪戦苦闘。
無謀にも初ライブから、まさかの3日連続のライブ。

神戸→滋賀→名古屋

滋賀U-STONEでKNOCK OUT MONKEYのVo.w-shunさんにもらったアドバイスが
俺をこの先2年間頑張らせてくれる原動力になる、本人には言った事ないけど。

「カッコ良いバンドはツアーをしまくる」
みたいな風習に憧れを抱いていた俺は、ツアーを組みまくる。
(当時のSHACHI,MUSHA×KUSHA,SEGARE,GOOD 4 NOTHINGとかの鬼畜スケジュール参考)

1年間で100本のライブ。
しかも2年連続。
メンバーと過ごす日々、時間の方が圧倒的に増える。

スタジオに入る時間は足りなかったものの、圧倒的なライブ感が身に付いたと思う。
金もなくなったし、色々と失っただろうけど、
この年齢のこのタイミングで、このツアーを敢行して良かったと思っている。
無理できる線引きがわかる。

今も続いているツアーイベント「仁義なき戦い」に参加。
ボロボロになりながらもやりきる。
Ba.小山はこのイベントに参加したせいで、専門学校を中退する。すまん。

初の全国流通。
CDがタワレコに並ぶ。まぁまぁ売れなかった。
これは完全に自分らのせい、学ぶ。

ほどなくしてBa.小山脱退。
毎度の事ながら、ベーシストに翻弄される。

当時ヴィジュアル系バンドのVoをやっていたまお(現 クロノスタシスVo)に声をかける。
ちなみに高校の軽音楽部の後輩。ベース歴、ゼロw
上手く丸め込んで、ベースとして加入。

ちなみに小山脱退からまお加入まで、3日間とかしかなかった。

ライブ本数も多いし、ライブ無い時は仕事だし、
プライベートで使う金も無いし、メンバー間の会話も減る。
意思疎通が出来なくなる。衝突も増える。


そしてライブを重ね続けたある日、メンバーからメールが来る。

「脱退したい」



またか、と思う。

続く。